Vol.11 気づかないまま、それは。

浅生 鴨

山の上で育ったので、子供のころからほとんど毎日のように街の夜景を見てきた。
「このたくさんの灯りの数だけ、幸せがあるのだ」と言ったのが映画だったか、それとも小説だったかは覚えていないけれども、一つだけはっきりしているのは、それを聞いた子供の僕は、なるほどと思ったことだ。

坂道をゆっくりと上りながら、小学生の僕は足を止めた。秋も深まって、日が暮れるのもずいぶんと早くなっている。遠くの山の上に建ち並ぶ建物たちにも、仄かな光が一つ、また一つと灯り始めていた。

この先のカーブを曲がって橋を渡り、長く急な坂道を上がれば、ようやく家が見えてくる。僕は布の大きなカバンを肩からかけ直した。土にまみれて遊びまわっているせいで、もともと白かったカバンはすっかり汚れて灰色になっている。

山道を独りでとぼとぼ歩いていたのは、いつも一緒に登下校している友人と喧嘩をしたからで、僕は早く家に帰って、何もかも忘れてしまいたいと思っていた。

毎日通っている道なのに、独りで歩くといつもよりずいぶん遠いように感じられて、どうにも心細くなる。

僕は坂を見上げた。長く続く坂の上には何軒かの家が建っている。一番奥にあるのが僕の家だ。何気なく目をやって、僕は自分の背中に電気が流れたように感じた。うちの窓にだけ灯りがついていない。母はいないのか。こんな時間になって、もう日も落ちて暗くなり始めているというのに、母がいないなんて。何かがあったのだろうか。家の中で倒れていたらどうしよう。それとも、みんな本当は宇宙人で、僕だけを残して故郷の星に帰ってしまったのだろうか。

足が動かない。心臓の鼓動が急に早くなって、口元に力が入る。涙をこらえているのに、手前にある家の窓灯りが滲み始める。どうしよう。どうしよう。その場に立ったまま、僕は母がいるはずの家の窓をしばらく見つめていた。

急に、ふっと淡く黄色い光が窓に灯った。人の影が動く。

ああ。ああ、よかった。母がいた。全身を温かな気配が覆っていく。

何のことはない。ほんの少し、母が灯りをつけるのが遅かっただけのことだった。今考えれば、それほど遅かったわけでもないのだろう。それでも、灯りがつくまでのわずかな時間、僕はこの世界から取り残されてしまったような気がしていた。

急に気が抜けてしまい、泣きながら家に帰った僕を、母は不思議そうな顔をして迎えてくれた。

あの日、窓に灯った光は、喧嘩したことを後悔しながら家に帰る小学生の僕を、誰よりもホッとさせてくれたのだった。

もちろん、今では一つ一つの灯りとともにあるものが、幸せばかりではないことを僕だって知っている。それでもやはり、窓に浮かぶ灯りを見ると、僕はどこか心が緩む思いがするのだ。

ちょうど二十年前、山から見えるあの街の灯りは一斉に消えて、それからしばらくの間、なかなか灯ることがなかった。あの日から、失われた窓の灯りが一つずつ戻るたびに、僕たちは一歩ずつ、安心を取り戻してきたような気がする。

もしかすると僕たちがつける灯りは、ほんの少し離れたところにいる誰かを、そっと安心させているのかも知れない。願わくば、今夜も。

PROFILE

浅生 鴨(あそう かも)

作家、広告企画者。
1971年、神戸出身。ゲーム会社、レコード会社、デザイン会社などを様々な業種・職種を経て、2004年からNHKに勤務。番組制作ディレクターとして「週刊こどもニュース」などの演出を担当。
2009年にNHK広報局のTwitterアカウント「@NHK_PR」を非公式に開設。番組制作などの合間に行ったTweetが注目を浴び、“中の人1号”として話題を集めた。
2014年にNHKを退職し、現在は広告の企画・制作、執筆活動などに注力している。ペンネームの浅生鴨は「あ、そうかも」という口癖が由来のダジャレ。
『中の人などいない @NHK_PRのツイートはなぜユルい?』NHK_PR1号名義(新潮社)
短編「エビくん」『日本文藝家協会・文学2014』収録(講談社)
「終焉のアグニオン」(新潮社「yomyom」にて連載中)
Twitterアカウント @aso_kamo

著者近影

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

自分のためにつけた灯りが、もしかすると誰かの応援になっているかも知れない。なっているといいな。そんなことを考えました。

このエッセイを読まれた方へ

みなさんが遅くまで仕事をしているその窓の灯りを、遠くで見ている人が、きっといます。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

眠れない時には無理に眠ろうとせず、本を読んだり、ゆっくり風呂に入ったり。おまけの時間だと思って夜を楽しみます。