Vol.03 窓の中のこと

本谷 有希子

自分が先に寝てしまう時に、私はいつもどうしていいか迷う。電気をそっとつけておくような、さりげない気遣いが出来てしまう妻ならいいのだけど、あいにく私は「そんなことをされて、自分だったら本当に嬉しいのか」という気持ちを自分なりに検討してみなければ、どうしても納得できない。お陰で、寝間着に着替え、あとは電気をあれして部屋を去るだけ、という状態にまでなっておいて、うだうだしてしまう。

誰もいないのに電気のついた部屋のことを考える時、私はいつも幽霊船マリーアントワネット号を思い出す。あの無人の船は、確か、ついさっきまで誰かがそこで食事をしていたみたいに、淹れたてのコーヒーから湯気がたっていたり、ダンスパーティがひらかれていたかのように音楽が鳴りっぱなしだったのではなかったっけ。だから、人のぬくもりがさっきまであったという気配だけが、鮮やかに残されているなんて、心和むどころか、どこか不気味な印象を与えてしまうかもしれないのだ、よろしくない。

それに、不自然な明るさは、無人感を引き立てて余計寂しくなる。

というのも最近、我が家は新しい冷蔵庫を買ったばかりなのだが、それには「喋る機能」がついていて、設定をオンにしておけば、毎朝日付を教えてくれる。すぐに今日が何日なのか忘れてしまう私はそれはいいと喜んで使うことにしたのだけど、何かの拍子で冷蔵庫に「今日も気をつけてね」「毎日お疲れさまです」と明るい声を出されるたびに、食材を冷やす家電製品に話しかけられているという怒りが湧き、何が悲しくて、と力が抜けてしまう。

じゃあ、部屋をこうこうと照らさないで、小さな間接照明をぽつんとつけておけば解決するというわけにもいかない。

私の中で深夜の電力は、なぜか、ものすごく限りのある貴重なものというイメージになってしまっている。

たとえば、今、あの天井の隅の小さなランプをつけたとする。そうすると不思議なことに、誰かが、死ぬほどお腹を空かせてパン一個を温めようとしているレンジのぶんの電力が、私によって、今、奪われようとしているのかもしれない、とぼんやり思えてくる。強盗に追われた人が、命からがら逃げ込んだエレベーターの「閉」を押す電力が、ここに間違って来てしまったらどうしよう、と。

私はリビングの電気を全部つけ、また一から考え直し始めることにした。そのくらい、誰もいない部屋にともす灯りというのは、あると嬉しい、が、なくてもさほど困らないもの、なのだ。

そういえば、私は昔から、夜、散歩などしていて見知らぬ人の家の灯りがいっぱい集まっているのを見かけると、とても愛おしい気持ちになることがある。なぜかなあ、とずっと不思議だったけど、最近その謎の答えがやっと分かってきたような気がする。

きっと私は、その家の中で知らない誰かが泣いたり、笑ったり、怒ったりして過ごしているたくさんの夜を垣間見たような気分になって、これが人生の正体だと感じているのだ。

そう考えると、なんてことはないこの家の灯りも、外を歩く誰かのことを、じーん、とさせているかもしれない。

その時、玄関のほうで音がして、私ははっと我に返った。結局、今日も電気問題は解決せぬままだ。

PROFILE

本谷 有希子(もとや ゆきこ)

劇作家、演出家、女優、声優、小説家
2000年、「劇団、本谷有希子」を創立し、劇作家・演出家としての活動を開始。
2002年、「江利子と絶対」を発表し小説家デビュー。
2007年、「遭難、」で第10回鶴屋南北戯曲賞を史上最年少で受賞。
2009年には「幸せ最高ありがとうマジで!」で第53回岸田國士戯曲賞を、
2013年、「嵐のピクニック」で第7回大江健三郎賞を受賞。
主な著書に、「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(2004)、
「あの子の考えることは変」(2009)、「ぬるい毒」(2011)など。

著者近影

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

外から見ると、どれも同じに見える窓の明かりを、別の視点から描ければいいんじゃないかなと思いました。

このエッセイを読まれた方へ

自分のところの窓の灯りは、外からどんなふうに見えているだろうと想像してみてもらえたら、嬉しいです。

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