Vol.05 窓に灯りがなかったら真っ暗でつまらない

前田 司郎

僕の仕事は小説を書くことだ。時々全く書けない時がある。書けないときは理由を探す。理由を見つけると、もっと書けなくなる。

理由を見つけることで、理由が生まれ、書けない理由があると、書けない。本当は書けないことに理由などないのかも知れないけど。

書けないと、仕方ないから歩く。それで突破口が見つかることもあるけど、大抵は疲れるだけで家に帰って眠る。

街を歩いていると様々な人とすれ違う。時々、それらが人に見えない。幽霊みたいだ。人の形はしているし、人として認識はしているが、自分と関わりがあるようには思えない。歩く自分と、すれ違う人々は違う層に居て、同じ場所を歩いているようで実はすれ違ってすらいない。

人ごみを歩いていても無人の街を行くようだ。

友人と居ても、その声がなんだか遠くに聞こえる。

僕に話しかけていて、僕はそれに受け答えしているが、自分の声ですら遠くに聞こえる。遠くというのは違うかも知れない。やっぱり異なった層に居るように感じる。

人が人を殺すのはこういう事かも知れないと思う。人が人を人と感じられなくなったとき、人は人を殺すことが出来るのではないか。

僕はそれが恐くて人と話すんだろう。まるで自分たちが同じ場所に居ることを確かめあうように。互いに語り、触れ合う。

目の前の人に抱きついてみようか?抱きしめてみても、そこに人を感じられなかったら。僕は恐い。形すら信じられなくなる。

小説を書くのは自分に、他人に、世界に、形をつけるためだ。

形をつけて、目に見えるようにして、名前をつけて呼べるようにして、自分が、この世界と同じ層にいるってことを確かめようとする行為だ。

行動し、反応が起こると、とりあえず安心する。呼応が起こっていると思えるからだ。でもそれすら気休めにしかならない。気休めだけしかないのかも知れない。自分と世界が同じ層にあることを誰が証明できるだろうか。

大きく息を吐く。

都会に住む僕は空を見上げる。

空よりも大きな面積を占めるビルには無数の窓がある。それらは原稿用紙の升目のようで、一つ一つの升目に灯りが灯っている。灯りに浮かぶ窓の中の風景はまるで文字のよう。

その無数の窓の灯りが、時々僕を安心させる。灯りの向こうに人が居るから。いや、人と人との関係があるから。関係と関係は関係しあって、文字が文章に、文章が物語りになるように、人の形をした幽霊のようなものが、関係することで人間になって僕の前に立ち現れる。

窓は穴だ。内と外を繋ぐ。そこからもれる灯りは、時々、自分と世界が同じ層にあることを信じさせてくれる。

僕は原稿用紙の升目に灯りを灯して、その窓の向こうに人間と人間の関係を描きたい。

書く理由が見つかったとき、少しずつ文字が連なりだす。

本当は理由なんてないのかも知れないけど。時々はそれが必要になる。

窓の灯りの向こうにはそれがあると、信じている。

PROFILE

前田 司郎(まえだ しろう)

1977年、東京生まれ。作家、劇作家、演出家、俳優。五反田団主宰。
2008年「生きてるものはいないのか」にて第52回岸田國士戯曲賞を受賞。
また小説家として2007年「グレート生活アドベンチャー」にて第137回芥川賞候補、
2009年「夏の水の半魚人」で第22回三島由紀夫賞を受賞。
自作の小説「大木家の楽しい旅行 新婚地獄篇」(幻冬舎)が2011年に、『生きてるものはいないのか』(石井岳龍監督、原作・脚本/前田司郎)が2012年に映画化。
シナリオライターとしても、『横道世之介』(沖田修一監督、脚本:沖田修一・前田司郎)、NHKドラマ「お買い物」を担当、放送文化基金賞 平成21年度テレビドラマ番組賞、2008年度ギャラクシー賞優秀賞を受賞。

著者近影

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

窓の灯りの向こうに生活があるというところから、同じ世界に暮らす自分とは一生関わることのない他の人たちの人生に思いをはせたいと、思って書きました。

このエッセイを読まれた方へ

読んでいただきありがとうございました。読みづらくなかったですか?
もうちょっと文章が上手くなりたいです。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

本を読んで居るといつの間にか眠くなります。
金縛りにあいそうな夜はギャグ漫画を読んで一度眠気をリセットすると金縛りになりにくいです。