中学三年の頃、同級生の太郎(仮名)君が毎晩夜遅く、俺の家の俺の部屋の窓の下にやって来たらしい。実際に彼の姿を見たことはないが、彼が毎日、学校で顔を合わすと「昨日は遅くまで勉強してたね」とか「昨日は早く寝たんだね」などと昼間ニヤニヤしながら言うので、そしてそれが毎日その通りなので、どうやらこいつは俺の部屋の窓の灯りを毎晩気にしているらしい。
やや不気味だったが、「ああ、うん」と答えるしかなかった。太郎君は、特に仲がいい友達でもなく、というか、むしろあまり親しい相手ではなく、なぜこの男が俺の部屋の灯りを気にするのか、毎晩窓を見に来るのか、いささか不気味だった。俺にはBLの趣味は皆無だし、太郎君もそれは同じだったと思う。とにかくそんなような甘い出来事ではなく、俺にとっては不気味なだけだったが、彼が毎晩俺の部屋の窓の下に来ているのは事実らしい。
……あれは、なんだったのかな。今思い出しても、とっても不思議。一度だけ、近所の商店街の通りで、太郎君が大きな犬を連れて散歩しているのを見たことがある。夜に、あの犬を散歩させていたのかな、と思うけれど、そんな雰囲気でもない。
その後、太郎君とは別々の高校に進んだので、そして今まで顔を合わす機会もなかったので、あの時、彼がなぜ俺の部屋の灯りを気にしていたのか尋ねたことはないが、時々、思い出す。
「灯り」というのはなんとなく切ない。バンコクの安ホテルに何日か泊った時、部屋の窓から見下ろす裏街に毎晩、ポツンと一軒だけ、屋台が出ていた。ホテルの裏の、人通りのない、切ないほどに寂しい通りで、ずっと見下ろしても飽きなかった。時折人が来て、なにかビニール袋にいれた食べ物を買っていく。その時、客とお爺さんはお喋りをする。その全てが楽しそうで、今思うと、彼らも楽しかったんだろうな、と思う。酔っ払って部屋に戻って、さてそれから、人通りの少ない寂しい灯りを毎晩眺めるうちに、あの屋台で飲み食いしたい、と思うようになった。理由はわからないが、真夜中の屋台の灯りには、「ああ、あそこで人が働いている」「人生があり、人が生きている」なんてことが頭の中でコロコロ転がって、しみじみと「ああ、生きている」と人生を噛み締めたりさせる味わいがある。
そんな時、太郎君のことを思い出して、「あいつあの時、なに考えてたんだろ」としみじみ人生を噛み締めることもあるわけだ。
で、ある夜、行ってみた。その屋台はお爺さんが焼き鳥を売っていた。満面の笑みで迎えてくれた。なにを言っているのかはわからないが、語っていることはわかる。
「あんたは毎晩、ホテルのあの窓から俺の店を見ていただろ。いつ来るのかな、と楽しみに待ってたんだ」
と言っている。
「顔が見えたんですか?」
「顔なんか、見えなくてもわかる」
とニコニコ言っている。
そうなんだろうな、と思い、バンコクの夜の片隅で、この灯りに誘われて屋台に来て、本当によかった、と俺は心の底から思った。
1956年、北海道生まれ。
1992年にススキノを舞台にした『探偵はバーにいる』で作家デビュー、
同作に始まるシリーズほか、ハードボイルド小説で人気を博す。
2001年には『残光』で第54回日本推理作家協会賞を受賞。
近著に『探偵法間 ごますり事件簿』などがある。
みな文章にいたしました。
とにかく頑張っていきましょう。
アードベックのストレート。一刻者赤のストレート。