五年ほどの前のことだ。
真冬。深夜三時半。僕はパソコンに向かい仕事をしていた。作業が行き詰まり、僕は椅子から立ち上がって大きく伸びをした。
右を向くと大きな窓。その先には僕のマンションと同じ形で同じ高さのマンションがある。つまりは僕のマンションと、そのマンションは双子のように並んで建っていた。
向かいのマンションでひとつだけ灯りがついている窓があった。八階の角部屋。ちょうど僕の部屋と真向かいの部屋。濃紺のレゴブロックの塊のなかに、ひとつだけ白いブロックが組み込まれたかのように、その部屋の窓だけが光っていた。
まるで鏡のようだ、と僕は思った。この濃紺の世界の中で、僕の部屋の灯りを反射するかのようにその部屋が光っている。
その灯りを見つめているうちに、悪戯心が芽生えた。
試しに、僕は一度灯りを点滅させてみた。
しばらくすると、呼応するかのように向かいの窓の灯りも点滅した。
僕は灯りを消す。
すると向かいの窓の灯りも消える。
すぐさま灯りをつける。
向かいの灯りもつく。
カチカチと二度点滅させる。
すると向かいの灯りも二度点滅する。
僕がつければ向こうもつける。消せば消す。点滅を繰り返す。
向かいの部屋の見知らぬ住人との、窓の灯りを通じた会話。三十分あまりであろうか。僕は夢中になって、灯りを点滅させ続けた。唐突に、向かいの部屋の二階下の灯りがついた。気付けば空は明るくなり始めていた。すると、向かいの灯りは五回ほど連続して点滅した後に消え、そのまま灯りがつくことはなかった。
翌日、僕はこの不思議な出来事を一階に住む管理人に話した(管理人は一階の部屋に住み込んでいる中年の男だった)。
すると、管理人は押し黙った。どうしたのか、と僕が訊ねると、あの部屋にはだれも住んでいないと言う。先週、ひとりぐらしの三十歳の男性(僕とちょうど同じ年だった)がその部屋でうつ伏せに倒れ、死亡した状態で見つかったのだと。
管理人は怪談のような僕の話に、怯えたように体を震わせた。きっと幽霊でも見たのだよ。そう言って部屋に足早に戻っていった。
だが僕は怖くはなかった。なぜだか哀しい気持ちになった。
鏡のように向かい合った部屋の中で、死んでいたのは僕だったのかもしれない。そんな不思議な気持ちになった。僕が彼でもよかった。突然訪れる死。それは誰にでも平等にその可能性があり、死ぬということはその程度のことなのかもしれない。諦めに似た哀しみが、しばらく僕を捉えていた。五年ほど前。真冬の出来事だった。
ちなみに、この小さな僕の物語。
「悪戯心が芽生えた」以降は僕の妄想である。
五年ほど前。真冬。深夜三時半。僕は向かいの窓の灯りを見つめたまま、そんな妄想を繰り広げていた。いつだって窓の灯りはそんな妄想を僕に強要する。窓の灯りの先に潜む殺人鬼、スナイパー、麻薬の取引、女優の逢い引き、乱交パーティー。何気ない景色が、ひとつの灯りによって映画のような奥行きを持つ。だから今日も、僕は退屈を感じると外に見える窓の灯りを見つめる。
1979年、横浜生まれ。
上智大学文学部新聞学科卒業後、東宝にて『電車男』『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『寄生獣』などの映画を製作。
2010年、米The Hollywood Reporter誌の「Next Generation Asia」に選出され、翌2011年には優れた映画製作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。
2012年には、ルイ・ヴィトン・プレゼンツのCGムービー『LOUIS VUITTON -BEYOND-』のクリエイティブ・ディレクターを務める。
同年に初小説『世界から猫が消えたなら』を発表。同書は本屋大賞へのノミネートを受け、70万部突破の大ベストセラーとなり、佐藤健、宮崎あおい出演での映画化が決定した。
2013年にはアートディレクター佐野研二郎と共著の絵本『ティニー ふうせんいぬのものがたり』を発表し、同作はNHKでのアニメ化が決定している。
その他の著書として、イラストレーター益子悠紀と共著の絵本『ムーム』、山田洋次・沢木耕太郎・杉本博司・倉本聰・秋元康・宮崎駿・糸井重里・篠山紀信・谷川俊太郎・鈴木敏夫・横尾忠則・坂本龍一ら12人との仕事の対話集『仕事。』、BRUTUS誌に連載された小説第二作『億男』がある。
窓の灯りにいつも妄想を誘発されているのは、きっと僕だけではないはずだと思って書きました。
ご自身の“窓の灯り妄想”を思い出して頂けると幸いです。
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