いかにも嵐といった風が遠くからごうごう吹き、今日をどう過ごそうか天気をうかがおうと、空を見上げるもただ灰色がひろがるばかりで、強風以外は変哲もなかった。滞在しているアパートの共有のゴミ箱は人がはいれるほど巨大なのに、風にあおられたのか部屋の前に転がっている。中を確認すると段ボールが束になって放りこまれていた。
黄色のくちばしを持つ黒い鳥が中庭の自転車にとまり、目があった瞬間に飛び去ってしまう。わたしは昨夜の出来事を思い出していた。
昨日はずいぶんと調子のよい一日だった。行こうと考えていた場所にちゃんとたどりつくし、道すがら、ずっと探していた郵便局やドラッグストアを見つけたから。この一ヶ月のスロヴェニアとドイツの旅では予定しないことに遭遇してばかり。それはそれで楽しんでいたのだけれど、やっぱりこういうふうにスムーズだと気分がいい。
帰路、なんて満足な日だろうとトラムの中で考えていたら、何やらドイツ語でアナウンスが流れ、最寄り駅のみっつ前で停まってしまい、次々と乗客が降りていく。わたしも続いて下車し、ベルリンの中心地から二十分ほど離れた広場駅で途方に暮れる。
皮膚に刺さりそうな風はひどく冷たいし、手袋はあいにく部屋に置いてきてしまった。土曜日の夜だからカフェもレストランもほとんど開いていない。電光掲示板に時刻は表示されるものの、待てども待てどもトラムはこない。ちがう路線に乗ってバス停を探し、見つけるも二十分待たなければならなくてあきらめる。もう一時間以上は待っていた。
かじかむ指に息を吹きかけうなだれていたら、普段乗ることのないトラムが普段到着しない時間にやってきた。ゆっくりと近づいてくる明るい窓の中に、大勢の人が乗っているのが見える。
寒さをしのぐために停留所からすこし離れた湿ったベンチに座っていたわたしたちはあわてて、あたたかく灯る窓をめがけて走り出す。黒く大きなピアスを鼻につけたロックミュージシャンといった外見の若い男性が、走りよる皆がきちんと乗れるようにドアの間に立ち、呼びかけてくれる。無事に動きだした時間に人々は歓声をあげた。
ドアを開けて待っていてくれた男性とその仲間とおぼしき若者たちは、喜びをかくすこともせず派手に讃えあう。翌日になってわかったことだが、冬のベルリンには珍しくハリケーンがやってきて交通が麻痺していたらしい。
わけもわからないままに帰宅して、白い木製のドアに鍵をさし、右手のスイッチを押して部屋の電気をつけて、ヒーターの取っ手を凍結防止のマークから全開にする。それから平静をよそおってラジオを流し、徐々にあたたまっていく室内で安堵するいっぽうで、妙にもの悲しくなってしまった。わたしにはあの若者たちのように歓声をあげるういういしさはないし、もとより感情をあらわにすることが下手だから、自分がつまらない人間に思えてきたのだ。
部屋の灯りは、そんなわたしの気持ちの揺らぎに気づかないふりをしながら優しく灯っている。この部屋を一週間後に去るのだけれど、消さない限りはいつまでも灯っている。
この部屋もあの窓も、旅の記憶も感情も、わたしたちが消さない限りはいつまでもいつまでも灯っている。
詩人。1981年生まれ。
鹿児島出身。東京造形大学造形学部視覚伝達学科卒業。
22歳で現代詩手帖賞を受賞。
第1詩集「オウバアキル」で中原中也賞、第2詩集「カナシヤル」で歴程新鋭賞、2006年度南日本文学賞を受賞。
2008年に第3詩集「錯覚しなければ」、2009年に初の小説「骨、家へかえる」(講談社)を刊行。2010年に1stアルバム「悪いことしたでしょうか」(ペルメージレコード)を発表。第4詩集「はこいり」(思潮社)を刊行。2011年、2ndアルバム「幻滅した」を発表。
2012年、西日本新聞にて50回連載随筆、「わたしの町ではない町で」を発表。欧州文化首都マリボル関連プログラム、国際詩祭『Days of Poetry and Wine』に招致される。
2013年、連詩集「悪母島の魔術師」(思潮社)で第51回藤村記念歴程賞を受賞。第55回ヴェネツィアビエンナーレ日本館によるプロジェクト『a poem written by 5 poets at once』に参加。第5詩集『隣人のいない部屋』を思潮社より刊行。リトアニア国際詩祭に招致。
2014年、初個展を前橋のアートスペースya-ginsで開催するなど、ジャンルを超え、あらゆる表現を「現代詩」として発信し続けている。
大人になると無邪気じゃいられなくなってしまうから切ないけれど、窓の灯りはいつだってあたたかく待っていることを描きました。
窓の中だけでなく、感情や想いも自分で灯せるかもしれません。
夜をひとりじめしていると思い込んで、散歩して詩を書くことと、コーヒーとチョコレート。