Vol.13 あの頃の窓の中 小路幸也

二十四歳から十四年間、広告制作会社で働いていた。いわゆるバブル絶頂期の頃だ。

エディターから始まってライター、イベント・プランナー、クリエイティブ・ディレクターなどといわゆるカタカナの肩書きで仕事をしていた。

あの頃の時代の空気を言葉で表現するのは難しい。誰もが熱に浮かされたように仕事をしていた。嫌らしい表現をするなら、何をやっても儲かった。仕事は山ほどあったし山ほど勝手に作ることができた。予算は湯水のように湧き出てきたし、毎年のように給料は上がっていくもので、ボーナスは膨れ上がる一方だと思っていた。

ただ、それは振り返ってネタのように揶揄してみれば、の表現だ。

僕達は若かった。

仕事をすることが、ただただ楽しくてしょうがなかった。自分たちの考える何かが、どんどん形になっていった。鋭い感覚を持つ同僚達と、クリエイターたちと広告というものの枠組みの中で〈何か〉を表現し、それが時代の波に乗っていると、新しい波を作れるんだという実感が嬉しくてしょうがなかった。

元々、何かを創り出すという作業に就業時間など関係ない。自分たちが納得できるだけ、スケジュールが許す限り時間を掛けるのがあたりまえだ。そもそもが、そういうものだ。

僕達は毎晩のように、日付が変わるまで会社にいた。大体七時を過ぎる頃になると、残って仕事をしている皆で連れ立って夜の街に晩ご飯を食べに出かけた。美味しい店があると聞くと多少遠くても歩いていって、くだらないお喋りをしながらご飯を食べて、夜の九時過ぎに会社に帰ってきてそこからまた仕事をした。

だから、オフィス街にあった会社のビルの、窓の中はいつも、いつでも明るかった。

日付が変わっても、ときには丑三つ時を過ぎても、プレゼンのために、あるいはイベントのために徹夜の作業をすることもあった。そしてそこにはいつも、たくさんの、同じ目的を持つ仲間たちの熱があった。

実は今も、あまり変わりない生活をしている。寝るのは大体夜中の二時半頃だ。本当に切羽詰まったときには徹夜もする。僕は自宅で執筆をしている。周囲は普通の住宅街だ。その時間まで部屋の窓の中が明るいのはたぶん僕の部屋ぐらいだろう。

小説の執筆は、たった一人の、孤独な作業だ。いやそもそも創作という行為自体がそういうものだ。

でも、同じ創作でも、あの頃の会社の窓の灯の下ではたくさんの若い熱があった。

チームが全員で同じ方向を向いて、より良いものを創ろう、クライアントに届けよう、広告を見ている人たちに送ろう、という一体感が、高揚感がそこに溢れていた。

東京の定宿は、東京駅付近の町並みを一望できる高層ビルだ。大抵一週間ぐらいは滞在して打ち合わせやらをこなしながら、夜は窓に向う机について執筆をしている。東京の街灯りがそこにある。街の灯りは、窓の灯りだ。オフィスビルの窓の中で、仕事をしている人たちの姿を見ることも多い。

その背中を見ると、いつもあの頃のことを思い出す。広いフロアで、大きな窓のあるオフィスで、灯りの下、同僚たちと何かを追いかけていた、若い自分を。

PROFILE

小路幸也 しょうじゆきや

北海道旭川市出身。
2002年、「空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction」により講談社メフィスト賞を受賞。同作品がデビュー作となる。
他の著書に〈東京バンドワゴンシリーズ〉(集英社)、「蜂蜜秘密」(文藝春秋)、「少年探偵」(ポプラ社)等多数。

小路幸也近影

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

〈窓の灯り〉と聞くと、どうしてもノスタルジーなものを思い浮かべてしまいます。
堺正章さんの『街の灯り』が身体に染みついている年代だからでしょうか(^_^;)

このエッセイを読まれた方へ

仕事を一生懸命やることは、とても良いことなんだとこの年になって気づきます。
何もかもが、自分の身体に残っていきます。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

基本的にいつでもすぐ眠れる人間なのです。どうしても徹夜で原稿を書かなければならないときには、薬局などで売ってる〈ブドウ糖〉が最後の希望です。
常に冷蔵庫に入っています。