Vol.17 執筆の夜 和田竜

執筆は深夜に行う。連載中は机につくのが、だいたい午前0時。五時間か六時間ほどねばって仕事を終えていた。

僕の住むマンションの部屋には、100平米ほどのルーフバルコニーがある。殺風景で、床は下の階への雨漏り対策ためコーティングが施されており、一面灰色である。

執筆中、僕は自分の部屋からルーフバルコニーに頻繁に通う。タバコを吸うためだ。南向きの部屋のため北側以外はすべて見渡せ、すこぶる眺望はいい。

午前一時か二時ぐらいまでは、まだ明かりの灯った家もあるが、三時ぐらいになるとそんな家はほとんどなくなる。明かりが灯っているのは、通りを挟んだ謎の一軒家の二階の謎の部屋だけだ。

だが、そんな部屋の明かりは僕をちょっとやる気にさせてくれる。何をしているか分からないが、僕だけじゃないんだ今何かしていると、どこかほっとする。ときおり通るバイクの音もそんな思いを起こさせる。走ってはすぐに止まり、止まってはすぐに走り出すバイクは新聞配達のものだ。

みんな仕事してんだなあと思っていると、我が家の玄関の新聞受けがバタンと鳴り、必ずと言っていいほどビクンとさせられる。バイクは僕の購読している新聞を配達していた。

こんな感じがいいのだ。一握りの人は起きていて働いてはいるが、ほとんどの人が眠り、世界が僕だけのものになったかのような印象。時間が僕だけのために刻まれているかのような感覚。こういう思いがあって初めてどっぷりと思索に入り込むことができる。

四時になるとバイクの音は終わり、謎の一軒家の明かりも消え、深夜の仲間たちもいよいよ眠りにつくのだろう、そうなると僕はちょっと焦りはじめる。となりのマンションの明かりが灯るのだ。実に早起きで、お母さんが何か家事を始める。ふと僕のマンションのゴミ捨て場に目をやる。するとワゴン車が横付けにされ、男がゴミ捨て場に入っていく。こんな未明にゴミ捨てか、と思っているとゴミ捨て場から何か持ち出していた。鈍いもので、売れそうなゴミを持ち出していたんだと最近になって気付いた。思えば、毎週決まった曜日にそのワゴン車はやって来た。朝が始まる。日が昇ってくる。急かされつつ僕はタバコを捨てて机につき、最後のスパートをかける。やっとその日のノルマを終え、夏であれば五時、冬であれば六時ぐらいだろうか、何度目かタバコを吸いにルーフバルコニーに出ると、近所の高校の校舎の向こうの空が絵の具でもぶちまけたように真っ赤に染まってくる。

美しい、本当に美しい。今のマンションに住んで六年が過ぎたが、以前はすべて一軒家だったため、こうまで何度も同じ空を見渡すことはなかった。ルーフバルコニーから見える朝焼けは、校舎がシルエットになる対比がまた何とも言えず、毎度息を呑まされる。

日が昇り切ると出勤の人たちの姿がちらほらと見え始める。僕の時間も終わりだ。執筆の興奮も冷め切り、机を離れる。拙作『村上海賊の娘』はこのマンションで書いた。取材から執筆にかけた四年半はこの夜の繰り返しだった。

不思議なのは、新作を上梓した途端、周囲の家々が取り壊されていったことだ。謎の一軒家はなくなり新しい家が建ち、早起きの家族のいるマンションも消え、駐車場になった。高校までもなくなりつつあり、取り壊し作業が始まった。僕のマンションのゴミ捨て場も最近、施錠式に変わった。

PROFILE

和田竜 わだりょう

日本の脚本家、小説家。1969年生まれ。
オリジナル脚本『忍ぶの城』で第29回城戸賞を受賞し、同作の小説化作品『のぼうの城』が第139回直木賞候補。時代劇・時代小説を専門とする。
2009年、『忍びの国』で第30回吉川英治文学新人賞候補。2014年、村上水軍を題材にした『村上海賊の娘』で第35回吉川英治文学新人賞と2014年本屋大賞、第8回親鸞賞を受賞、第27回山本周五郎賞の候補作となる。

和田竜近影 提供:新潮社

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

「村上海賊の娘」を書くのに、同じ日々をひたすら繰り返した感慨や空しさを読者の皆さんと共有できたらうれしいなと思って書きました。

このエッセイを読まれた方へ

深夜の仲間の皆さん、共にがんばりましょう。僕もがんばります!

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

司馬遼太郎と井上ひさしの対談をまとめた「国家・宗教・日本人」。これを読むとなぜか猛烈に眠くなる。