Vol.18 夜の仕事部屋を照らす灯り 羽田圭介

二〇〇九年夏、二三歳の時に中古で買った分譲マンションに、五年半住んでいた。東京郊外の2LDK、買った当時で築一四年目、主要採光面が北向きのためか、安く買えた。マンションを買うと同時に会社を辞め専業作家になった。小説家としてデビューしたのは高校三年生の頃で、高校や大学、会社にも行かないで一日中家の中で仕事する日々は、予想を越えて過酷なものだった。

通学・通勤ラッシュの満員電車に乗り、疲れた身体をひきずり帰路につく、というようなストレスとは無縁だ。だからこそというか、いつ起きてもいつ寝てもいつ仕事をしてもいい生活だからこそ、日々の生活に自分自身でメリハリをつけないと、寝ているのか起きているのかもわからないような生活になってしまうのだ。小説の執筆では、集中力が必要だ。そこが、ルーティーン仕事をしていても月毎の給料をもらえた会社員時代とは違う。いくら自由に使える時間があっても、集中して書ける時間がなければ、なんの意味もないのだ。北向きの2LDKでは、秋頃からもう寒さを感じるようになる。おまけに交通量の多い通りに面していたこともあり、止むことのない車の走行音がうるさかった。寒いし、うるさい。執筆に集中できている時はそれでも問題ないが、小説の仕事に関してはダラけているまどろみから集中へと切り替わるための時間が必要で、そんな時に、寒さと騒音には気をそがれた。喫茶店で仕事をしようにも、仕事をするため数時間おきにいちいちコーヒー代を払うのも、貧乏な自分にはもったいない。どうすればいいのか。

問題を迂回せず、正面から立ち向かうしかない。窓の外から伝わってくる冷気と騒音の問題を解決するには、窓をどうにかする以外に方法はないだろう。二重窓、内窓なるものの存在を知った僕は、一二月、全ての窓に内窓(プラマードU)を取り付けた。数十万円の出費は痛かったが、払った金額以上の見返りがあった。車の走行音はほとんどしなくなったし、冬の朝の結露もなくなり、エアコンをつけなくとも快適に仕事ができる住環境になった。

しかし生活や仕事の環境が快適になると、今度は仕事に集中できない時の言い訳を他に探したくなるようで、「外部的要因に左右され日常の行動パターンを決められる会社員はうらやましい」「己の意識世界と向き合わなければならない小説家という仕事は過酷だ」等、二〇代前半だった当時の自分はまたゴニョゴニョ考えたり独り言をつぶやいたりするのである。

部屋の中で一人じっとしているのがいけない。僕は夜、ジョギングや自転車でのトレーニングへ出かけるようになった。お気に入りのコースがいくつかあり、どのコースを通る時も、一軒家や集合住宅の窓の灯りが見えた。川の向こうに建つマンションの窓の灯りは幾何学的に並んだ電飾のように見えたし、幅の狭い坂道から見える一軒家の窓からは、そのつもりがなくとも家の中が覗けてしまったりして、慌てて目を逸らした。ただ、走りながらうっかり垣間見てしまった各家庭のおりなす空気感は本当にバラバラで、同じものは一つもなかった。

身体を動かす気分転換から帰ってくると、汗だくのまま、必ず数十分間は机に向かった。その時間帯が、仕事に最も集中できた。内窓を設置してからは夜もレースのカーテンしか閉めなくなっていたが、夜の仕事部屋を照らす灯りは、外からどう見えていたのだろうか。

PROFILE

羽田圭介 はだけいすけ

1985年生まれ。
明治大学付属明治高等学校に在学中の2003年、17歳のとき『黒冷水』で第40回文藝賞を受賞。
2008年の『走ル』、2010年の『ミート・ザ・ビート』が芥川賞候補作となる。
2015年『スクラップ・アンド・ビルド』で第153回芥川賞受賞。

羽田圭介近影 提供:文藝春秋

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

各々で感じていただければと思います

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