一人で外に出られなかった幼少期、外の世界と繋がる唯一の手段は、「窓を覗く」ことだった。
それも自分の家の窓を通して、隣の家の窓を覗くのだ。カーテンをそうっとめくり、隣家にともる窓の灯りを眺める。ひどく叱られたとき、親に隠しごとをしてはらはらしているとき、兄に構ってもらえずにさみしいとき、窓の灯りはなぜあんなにも温かく、やさしげに見えたのだろう。
妄想力たくましい四歳の私は、隣家のおばさんの影が窓の中を行き来するのを、家の窓から眺め、影に一心に語りかけた。「ねえ、おばあさん。わたし、きょうも怒られちゃったの。かわいそうでしょう?」
こうして窓辺で涙を流していれば、おばさんが気の毒がって、私を引き取りに来てくれるはず。本気でそう夢想していた。六歳で別の家に引っ越したので、ついにおばさんの実物には会えずじまいだったけれど。
十歳になった私は、写し絵遊びに夢中だった。寝室の小窓に、漫画の絵と白い紙を重ねると、日の光に透けて、絵の輪郭が浮かび上がる。その輪郭に沿って、細部まで鉛筆を走らせていく。
小窓から見える隣家の窓にはカーテンがなく、部屋の様子がぼんやりと伺えた。誰もいない雑然とした部屋の中に、ハンガーに引っかかったシャツ、絡まりそうな電話線、うつ伏せにされた雑誌類が取り留めもなく置かれている。それらを眺めていると、不思議に心が落ち着いていった。整わない暮らしが、この世には無数に存在しているのだと悟った。
今は上京して、ワンルームの一人暮らし。室内でキーボードを叩き、書評の本を読んでいると、いつの間にか日が落ちていて驚いてしまう。毎日夜は来るのだが、その訪れには未だ慣れない。
部屋の灯りをともす前に、私は必ず、隣家の窓を見上げる。夕暮れどき、いち早く明かりを灯すのは、隣のアパートの五階、北側の窓だ。レースカーテンの奥に橙色の光がぽうっと透ける。その明かりに応えるように、わたしも蛍光灯のスイッチに触れる。まるで何かの合図を送るように。
外の空気を吸いたいときは、マンションの外階段を上り、夕日に染まった町を見下ろす。駅前の中心街は明るく、きらめくように美しいが、私が好きなのは、マンションやアパートなど、集合住宅の窓の灯りだ。隣人同士、示し合わせるでもなく灯りをともし、けれど遠く眺めれば、その光は温かく、寄り添い合っているようだ。一つの生きものとして包まれている。
どこかの部屋から漂う、キャベツを煮るお醤油の匂い。階下からは絶え間なく、自転車の鍵を外す音が響く。駅で人を降ろした電車が、軽やかに走り出す。その車窓に揺れる、たくさんの肩と顔、つり革の手が目に焼きつく。
ある夜、私は電車に乗っている。並び立つ屋根と灯りを、車窓から眺めていると、不意に「ああ」と思い至る。この電車を、こうして運ばれゆく私を、どこかの屋根の下で見ている人がいるだろう。
車窓には、前に立つ私の顔が映り込み、夜の町が絶えず流れている。私の顔は流れずに、夜の輝きを黒い瞳で捉えている。
景色の前に「私」が映る。「私」の奥に、これから出逢うかもしれない「誰か」の灯りが脈々と流れていく。今夜も窓に指を置き、私はひっそりとその「誰か」にささやきかける。
1991年北海道生まれ、東京在住。
高校3年の時に出した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』で中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少受賞。近著に詩集『屋根よりも深々と』。
雑誌に書評やエッセイを執筆するほか、NHK全国学校音楽コンクール課題曲の作詞、ラジオ番組「J-WAVE TOKYO MORNING RADIO」での詩の朗読など広く活動中。
窓と戯れた幼少の記憶を辿るつもりでしたが、大人になってもさほど親密さは変わらないようです。
合図を送り合うかのような、窓の灯りに惹かれてやみません。
あなたの暮らしを見てきた窓とお話ししませんか。
黒糖入りの温めた豆乳。読みかけの本。妄想。