私にとって最も古い記憶に思いを巡らすと、その手は祖母と繋がれている。
その日祖母は、祖父が死んだ夜のことを私に語った。なぜそんなことになったのだったか。たしか祖母に手をとられながら、墨ではじめて自分の名前を書いたのちの出来事だった気がする。
ひとつきりだと思っていたのに、彼女は筆を休めず、もうふたつを並べて縦に綴った。
「このみっつ、せんぶがあやちゃんよ」ひらがな、片仮名、漢字、と呼ぶの――。
「なんかきもちわるい」
まず言葉が出て、そう思っていることに気づいた。
「どうして?」
背中から私の顔を覗き込み、祖母はたずねた。
「だってどれが私か分かんない」
すると祖母は私を膝の上に乗せ、静かに語りはじめたのだった。
祖父が死んだ夜、祖母は同じ布団の中で彼のからだに一晩中触れ続けたという。
「お布団をはだけたら、じいじ寒がると思って。ばあばね、とっても注意したのよ」
ことばをちいさくちぎるように、祖母は言った。
「頭の先から首筋、肩、脇の下、おなか……、ゆっくりていねいに、確認を続けたの。麻の襦袢をはぎとって、じいじのからだをひっくり返してお尻にも触れて、お肉をちょっとつまんでいじわるもして、またもとに戻してあげて、それから太ももの付け根に手をすべりこませると」
そこで祖母は、声をひそめた。
――おちんちんが、指に触れたの。
「指の腹で包み込んで、そっと力を込めてみたんだけど……。指はお肉に食い込むだけだった。それがさみしくて、それからばあば、じいじの名前を呼び続けながら、ぎゅー、ぎゅーって」
握りつぶしてしまうのではないかというほどに強く握り続けても反応はなく、その反応ないことに、祖母は、祖父が死んでしまったことよりも、自分がどうしようもなく生きていることを悟ったと語り、「でもあれは、ばあばが見た夢の出来事だったのかもしれないわ」と、繋いだ手に力を込めた。けれどとっさに、私はその手をふりほどいてしまった。
西の窓に掛けられた伊予簾が、風に吹きあおられて大きく揺れた。その隙間に、雨の降るのを見た。
まるで差し伸べるように、たぐり寄せるように、あめつちを繋いでいた。瞬きもせず、祖母はそれを見つめていた。
乾きかけていた半紙が、しめりけを含んで匂い立った。自分の名前が放つ匂いを嗅ぎながら、どれかひとつを選び取ろうとしてみたけれど、うまくいかなかった。
名前を呼ばれるとき、ひらがなで呼ばれているのか、片仮名なのか漢字なのか、相手にとっての私はなになのかは、今でもわからないままだ。
そんな一日を過ごした夜は、窓の外にあの日見た雨を思う。
部屋に立ち込めていた墨の匂いと、ふりほどいてしまった掌に祖母が残したものの正体がなんだったのかを、思う。そして気づく。
名前を呼んでくれる人がいる。
応えられる自分がいる。
その幸せのあることに。
1980年生まれ。作家、本屋B&Bスタッフ、BUKATSUDOコンテンツプランナー。「太宰治検定」企画運営。
中央大学大学院にて太宰治を研究し、以降、文筆業をはじめとし、ブックディレクション、イベントプランニングなども幅広く行う。
著書に『いまさら入門 太宰治』『太宰治と歩く文学散歩』『太宰治のお伽草紙』など。『水道橋博士のメルマ旬報』『LaLaBegin』連載中。
4月からNHKラジオ『すっぴん!』レギュラー出演。
twitter @kimura_ayako
祖母はいま91歳で、もうほとんどのことを忘れてしまっています。そんな祖母が先日、私の名前をはっきりと呼びながら、つよく、つよく手を握ってくれたことがありました。あまりにも温かく、あまりにも純粋で、握り返すという反応をしたあとで、自分がそうしていることに気づいてしまいました。
祖母の手を握り返すことができたということ。きっとそれさえ忘れてしまう彼女の代わりに、私が覚えておこうと思い、このエッセイを書きました。
てのひらに、大切な人が残してくれた温もりを感じていただけたら嬉しいです。
強いお酒をくーっと飲んで、バタリ。です。