Vol.25 志村喬が見た灯り

滝口悠生

名優志村喬は、前田吟演じる博の父親役として「男はつらいよ」シリーズに三度出演している。俳優のキャリアとしては最後期の頃となる。元大学教授で古風な堅物、寡黙な役柄で、いずれの出演シーンも物静かで言葉も少ない。

私は子どもの頃からこの映画シリーズに親しんだのだが、子ども心にもこの老優は強い印象を残した。と言っても、どちらかといえば気味悪さを感じていたように思う。ほとんど何も演技をしていないように見える。現実世界のおじいさんが映画のなかに紛れ込んでいるような感じがした。

シリーズ第8作「寅次郎恋歌」で、志村喬は渥美清演じる寅次郎にこんな体験を語って聞かせる。

昔、信州の安曇野を旅していた時のこと。バスに乗り遅れて日が暮れた田舎道をとぼとぼ歩いていると、一軒の農家があった。庭一面にりんどうの花が咲き、開け放した縁側から灯りのついた茶の間で一家が食事をしているのが見える。子どもを呼ぶ母親の声が聞こえる。

見知らぬ街の見知らぬ家族の暮らしを一瞬垣間見た、その光景が志村喬は忘れられない。これが本当の人間の暮らしだと感じ、涙が出てきたと語る。そして、人間はひとりでは生きていけない、と風来坊の寅次郎を静かに諭す。「本当の」人間の暮らし、なんてものは言葉だけをとっても安直にしか響かない。けれども旅の道中では、簡単な言葉が、なにかこの世の理めいた、今だけ触れられる何かに届くことがある。ずっとスクリーンのなかを生き続けてきたような、志村喬の不気味な存在感とともに発された「本当」という言葉に、旅先のリアリティが立ち現れる。

高校を出てぷらぷらしていた私は、ひとりで日本のあちこちに貧乏旅行をした。旅先で私が惹かれるのは、観光地や名所旧跡よりも、山間や農村地帯の集落や住宅街だった。そこにあるどうということはない家や商店で暮らしている人の様子や、庭先で寝ている犬や猫を見るのが好きだった。

丸一日鈍行列車に乗り、日が暮れてようやく目的の街に着く頃、電車の窓からその街のはずれにぽつんと建つ家を眺める時、そこに自分の与り知らぬ人がおり、毎日笑ったり怒ったりしながら暮らしているということに驚き、感動する。自分の知らないところで、自分と関係なく日々を過ごす人がいる。そんなことは当たり前なのに、ふだんは忘れている。旅という特別な時でないと、なかなか真に迫って感じられない。

あの家の人たちもまた、毎日外に見える電車の窓の灯りを、ふだんはなんとも思わない。けれども、その走りゆく車内にいる若い旅行者のことを思い、自分たちと無関係な、しかしたしかにそこにいる人として発見する特別な日があるのかもしれない。

私は車内で、あの志村喬の佇まいと話を思い出す。けれども、旅先の私が思い出すというより、子どもの頃に見た志村喬の話が、そうやって旅先で家の灯りに向ける私の視線をつくり、私にものを思わせているような気がする。

旅をしたいなと思う時、まっさきに思い浮かぶのは旅先の見知らぬ家を眺めているそういう瞬間のことで、それはもう志村喬のことを思っていると言ってもいい。子どもの頃は不気味なだけだった印象は、役者という存在への畏怖の念へと変わり、今も志村喬が私をひきつける。

PROFILE

滝口 悠生 たきぐち ゆうしょう

東京都八丈町生まれ、埼玉県育ち。早稲田大学第二文学部中退。
受賞歴・候補歴
第43回新潮新人賞(平成23年/2011年)『楽器』
|候補| 第36回野間文芸新人賞(平成26年/2014年)『寝相』
|候補| 第28回三島由紀夫賞(平成26年/2014年度)『愛と人生』
|候補| 第153回芥川賞(平成27年/2015年上期)『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』
第37回野間文芸新人賞(平成27年/2015年)『愛と人生』
第154回芥川賞(平成27年/2015年下期)『死んでいない者』

滝口 悠生 たきぐち ゆうしょう

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

旅に行きたい。

このエッセイを読まれた方へ

「男はつらいよ 寅次郎恋歌」ぜひご覧ください。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

窓を開けて外の音を聴きます。夜は静かで遠くの音もよく聞こえます。