計画的にそうなったというわけではないのだが、昨年の冬から春にかけて四冊の本をまとめた。張りつめていた気持ちの糸が切れてしまったといおうか、その一本自体、どこかに落としてしまった。最後に二年をかけた新しい詩集を製作した。そのまとめが終わったら腰が抜けたようになってしまった。机へと向かう気持ちになれない。無理やりに座る。心の真ん中に穴が開いている。ドーナッツと化している。ドーナッてしまうのか。
このタイミングで長い休日がやってきた。なんと六連休。その日の朝。宇宙の真ん中のようなところで呆然としている自分がいる。な、何をしようか。ハタと気づく。休み方が良く分からない。朝はいつもの様に四時に目覚める。出勤までの二時間、執筆をすることにしているからだ。日ごろの習性なのである。
どうしても机に近寄りたくない。布団に潜ってみる。大金持ちだったのにその家を没落させたというオハラショウスケさんは、朝寝・朝酒・朝湯が大好きで…という鼻歌が地元の福島にある。やってみよう。まずは朝寝。駄目だ。どきどきしてきた。休日なので休まなくてはと緊張している自分がいる。眠れない。酒か。風呂に入るか。いや、面白くない。
やりたいことがない。ひどく情けない気がしてきた。そういえば幼い頃に、父に連れられて、早起きして魚釣りに出かけるのが何より楽しみだった。いつも釣りに彼は夢中だった。それからすっかりと大人になった自分だが、そうしたものがない。例えばゴルフやパチンコを楽しんでいる友人が多い。一度もやったことがない。野鳥でも見るか。近くに河原がある。しかしそれを見た後に、どうすればいいのか、分からない。
病に臥せっていた子が恋しくなって思わず外に出てしまったかのように、ふらふらと庭へ。近所の河原をさまよってみることにした。何をしようと思っているのか。魚釣りをする誰かの影を探してみようとしている。あるいはそれはかつての若い父の姿なのかもしれなかった。明るくなっていく。釣り人はない。原発が爆発し、放射性物質を含んだ雲がこの街の空を、雨を降らせながら通過した後、そういえばあまり見かけなくなってしまった。
昔はあちこちで竿が朝陽を浴びて美しく振られていたのに。そんなことを思いながら、青春の終わりのようなものを感じていると、つがいのキジが油の絵の具を塗られたかのようにして繁みから飛び出してきた。美しい鳥が出てくると、竿を握りながら父と顔を見合わせて得したなあなんて言っていたものだった。ふっと力が抜ける。どう過ごせばいいのか。生きていけばいいのか。川のせせらぎに耳を洗い、心はますます駄目になっていく。
こんな調子で休みは始まり、過ぎていった。終わりに山間の温泉へ。地酒を飲み、早めに眠った。目が覚めた。朝の四時だ。けろけろと蛙の声がする。戸を開けたままにしているのに気づく。辺りを眺めてみる。まだ暗い木立の中に一軒の家。窓の灯り。
あそこにいるのは、私なのだ。痛飲によるアルコールが残っていたのかもしれない。涙があふれてきた。いつもの変わらない毎日へ戻ろう。何かをあきらめて、またそこから始めようとする気持ちに似ていた。
謎解きを求められているかのような、様々なことを想いめぐらせられたテーマでした。心の中でイメージを追うほどに、郷愁のようなものが募っていく感覚がありました。そのままそれを、一つの詩に書いてみたくなりました。
創作意欲が人一倍強い人間であると思います。いつも創作にまつわることをあれこれとひっきりなしに考えています。その分、時々に反動がやって来て、ひどい落ち込みに悩まされます。そんな時に、クリエイターの方と語り合いたいです(そして優しく、なぐさめてほしいです)。
子どもの頃から集めている、マンガを読むことにしています。具体的に言いますと「こちら亀有公園前派出所」(ほとんど全巻、持っています)です。最近になって集めた「酒のほそ道」(これも全巻)なども、いつも枕元にあります。