Vol.30 夜の灯の友

西川 美和

私の身長は153センチである。小さい。大方の洋服には着られたようになり、飛行機の荷物入れには手が届かなくて慌てふためく。撮影現場の男性らと並んで立てばひとり囚われの宇宙人のようで、常に半人前のひしゃげた気持ちを抱いてきたが、これも自分のせいだとわかっている。子供の頃から夜眠らなかったのだ。夜中じゅうラジオを聴いたり、ライター気取りでこそこそ映画評を書いてみたり、音楽テープをこしらえたり寝ようとしなかった。その頃は寝るという行為は意識不明にして人生を浪費する無駄な時間と断定しており、遠足や修学旅行でも、バスで布団で、隣の友達が白目をむいているのを揺り起こし、なぜ寝る、なぜ寝る、と責めたりしていた。「背が伸びなくなるからだよ!」とあの頃誰か言ってくれていたらなあ。

しかし私は今でも夜寝ない。お肌の大敵。それでも寝ない。夜が好きなのだ。

陽の光というものは、美しくも時の経過を残酷に晒す。東から顔を出した新鮮な光が頭上に昇って昼を告げ、また傾いて濃い影を伸ばして行く。筆を握る日にはその移ろいがうるさい。さあ昼だ、それ夕方だ、もう日が沈む、おいどこまで行った、と遅筆をせき立てられている気がする。お前は中学生の母親か!それに比べて、夜はやさし。のっぺりとして暗いまま、書き割りのように風景は定着する。俺は何も言わん。好きに使え。という懐の深さを感じる。誰からもメールは来ない。ニュースも入らない。よおーし、鬼の居ぬ間に洗濯だ、と、ひとり爛々とし始める。こんな時間に生きているのは、何かを踏み外した人間ばかりのように思う。きらきらと賑やかな盛り場でもなく、しんみりとしてこっそり、置き去りにされたような灯の下が良い。さびしくなくては書けない。

けれどひとりで四十路にも乗れば、夜はおのずと静かである。友人らも子供の生活リズムにシフトし、家事育児に仕事もし、夜半には家族揃って撃沈している模様。空の白むまで机にかじりついていたり、映画や音楽を聴いていたりは、いよいよ半人前の証拠という気もして来る。

そんな頃私の住むマンションの二階に、ふしぎなカップルが越して来た。昼でも夜でも雨が降っても、大量の洗濯物が干されたまま窓は開け放たれ、白熱灯の下で褐色の上半身を露わにした若い男の身体がベランダの葦簀越しに透けて見える。どんなに遅く帰っても、彼らの部屋の灯だけともっている。しかしあけすけなわりに友達を招いて騒いだりする様子もなく、裸の彼はたいてい窓に面した低い座卓についている。先日窓辺に腰掛けた彼が、電話で喋っているのを見た。想像より声は甲高く、東南アジアの言葉のようだった。留学生か、仕事でやって来た人か。彼は何かしこたま勉強しているのじゃないか。そう思うと急に近しい気持ちになった。アイデアも暗礁に乗り上げ、やけ酒をひっかけて帰って来ても、紅い光の下でじっと机に着く彼を見れば、お。やっとるな。と思い、えい一風呂浴びてこっちももうひと頑張りかという気にもなる。

いつか玄関口で鉢合わせても私は彼を判らないだろう。挨拶の言葉も知らない。彼もよもや自分が私に発破をかけているとは思うまい。それでも私にとっては今は他にない夜の灯の友である。冬にはあの窓も閉ざされるだろうか。それならば、それまでのつかの間でも。

PROFILE

西川 美和 にしかわ みわ

1974年広島生まれ。映画監督。
2002年『蛇イチゴ』でオリジナル脚本・監督デビュー。
以後、『ゆれる』『ディア・ドクター』『夢売るふたり』などを発表。
著書に『ゆれる』、『きのうの神様』、『その日東京駅五時二十五分発』など。
直木賞候補となった『永い言い訳』を本木雅弘主演で映画化。
10月14日より全国公開予定。

西川 美和

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

これから長くなってくる夜を机について過ごす人へのエールですかね。

このエッセイを読まれた方へ

お子様には是非夜寝るように教育して下さい。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

仕事とお酒