ガソリンスタンドでの深夜バイトは、二十三時から翌日の朝八時までのシフトだった。日付が変わるくらいまでの時間帯はまあまあ忙しかったし、朝になると洗車をする営業車が一斉にやってきて、曜日によってはてんてこまいになる。
だけど深夜二時から五時すぎくらいまでは、これで時給をもらっていいのか、というくらいヒマだった。ときどき深夜トラックがやってきたりはするけれど、一時間に二台とか三台とか、一台も来ない時間帯もある。つまりその時間帯は、お留守番をしているだけだ。
ガソリンスタンドの灯は、砂漠のなかのカジノのように煌々と輝いている。だけど目の前の国道を走る車はまばらだ。車が途切れると、降ってきたように辺りは無音になる。
深夜の王になった気がした。
自由だった。この世界に自分は一人だ。当時は店内を見張る監視カメラのようなものもなかったし、この時間帯の僕やバイト仲間たちは、かなり自由に時間を過ごしていた。
と言ってもたいていは、ぼんやりとスポーツ新聞を読んだり、ぼんやりと深夜テレビを観たり、ぼんやりと煙草を吸ったりしているだけだ。曜日によっては、週刊少年ジャンプや、週刊少年マガジンや、週刊プロレスを熟読したりする。餅を焼いたり、即席ラーメンを作ったりもする。椅子に座って居眠りをする者もいる。
少しでもこの時間を有意義に過ごそうと、友人を呼んだりする者もいた。黙々と自分の車の洗車をする者もいたし、公衆電話から彼女に長電話する者もいた。資格の勉強をしている人もいた。
僕もだいたい同じような感じでいろいろなことをしていたが、それでもやはり何もすることのなくなる時間帯があった。テレビも終わり、雑誌も読み尽くし、眠くもなく、お客さんは来ない。待機所から出て、深夜の空気を吸い、体を動かしてみる。
当時バンドをやっていたから、頭で覚えているメロディーに詞をのせたりした。
天空浮舟――、ホレブ山にて――、カラスは月へ――。カード払いのお客さんにサインをしてもらうためのボールペンで、怪しいメモを残す。深夜のガソリンスタンドで、たくさんの恥ずかしい歌詞ができていく。一曲できると満足して、遠い灯を眺める。
国道の向こうは田畑や林で、人家やビルは少なかった。少ないうえに灯がついていることはさらに少ない。それでも暗闇ということはなくて、ぽつり、ぽつり、と灯はついている。もう一時間もすれば、辺りは少しずつ明るくなる。
この時間に起きている人はいるのだろうか、と、深夜の王は思う。例えば昼夜の逆転した浪人生とか、深夜ラジオを聴いている高校生とか、何かに悩んで眠れない人とか......。僕が今、灯を見つめているように、このガソリンスタンドの灯を見つめている人はいるのだろうか......。
恥ずかしい歌詞は世にでることはなかったが、初めて出版した小説に、ガソリンスタンドの灯を見つめる浪人生のことを書いた。
深夜の灯を “見つめたことがある” から書けたわけではない。あの頃それを、 “見つめ続けていた” から書けたんだろうな、と思う。
無音の深夜の空気感を伝えられたな、と思いながら書きました。
読んでくれてありがとうございます。
コンビニエンスストア、ハイボール