福島の大学を卒業して東京に出て、フリーターをしながら作家を目指していた。当然のことながら、毎日が不安だった。
自分の才能、将来、お金。自分の人生の不安要素を探そうと思えば、いくらでも見つけることができた。
夜、眠れなくなると近所を散歩した。初めは小説のテーマをあれこれ考えながら歩くのだが、やがてそれは将来への不安に変わり、最終的には、預金残高とバイトの給料日までの日数などを数え始める。
「あれ、おかしいな。このままだと、僕は今日から十四日間、一日四百円で暮らさないといけない……。いや何かの間違いだ。もう一回計算しよう……」
そんな時、周囲の建物の灯りを見るのが好きだった。午前二時や三時でも、アパートやマンションには、幾つか明かりを灯す窓が見える。当然その灯りの全てが、僕みたいに夜に眠れず、不安で悩んでいる人達であるわけじゃない。でも何というか、この巨大な都会のすごい闇の中で、今起きているのが自分だけではないと思えるのは、東京に出てきたばかりの二十三歳だった僕にとっては、安心できることだったのだ。
ようやく小説が完成し、出版社が公募していた賞に応募したが落選した。その小説には僕の全てが詰まっていると思っていたので、ショックは大きかった。
その夜、僕はひたすら、悩みながらあらゆる場所を歩いた。あの小説の何が駄目だったのかを検討する正しい悩み方ではなく、自分には才能がないんじゃないかとか、これからどうしようとか、一生こんな風に生きるのかといった不安に襲われていた。足が痛くなるほど歩き、疲れ果てて自分の古いアパートに向かい驚く。その僕の小さな部屋の窓に、明かりが灯っている。
泥棒? まずそう思った。よりによって、こんな安いアパートを狙わなくても。誰かが欲しがるものなど何も持ってないので、経済的な損失はきっとないが、泥棒と鉢合わせになるのが怖かった。恐る恐るドアに近づき、ノブを回す。鍵がかかっている。おかしい。ドアを開け中に入るが誰もいない。僕が電気をつけたまま、外に出ていただけだった。
でも、テーブルにはワープロが置かれ、ノートが広げられていた。当然それらは今朝、僕が小説を書いていて、そのままにしていただけなのだけど、僕がショックのあまり外を歩いている最中に、もう一人の自分が、灯りをつけ小説に懸命に取り組んでいた感覚に襲われた。外で、自分の才能がどうとか、これからどうするかとか、ある意味悩んでも仕方ないことを悩むのではなく、送った小説のどこが悪かったのかを「正しく」悩み、格闘していたもう一人の自分がいたかのように。
そうだよね、と思う。悩むのなら、作品について悩むべきだ。僕が今いなければならないのは外ではなく、ワープロの前のこの場所だ。僕はもう一人の自分の続きを受け継ぐように、そのままワープロの前に座り、自分の小説と向き合った。僕の部屋の窓には、朝までずっと灯りがつくことになった。
今でも時々、深夜に散歩をし、建物の窓の灯りを見るとその時のことを思い出す。あの窓の灯りは、誰かの微笑ましい、でも切実な時間の光なのではないかと思いながら。
当時のことを思いながら、書きました。
読んでいただいてありがとうございます。
本ですね。本があれば大丈夫です。