Vol.35 灯りの消えない書店

枡野 浩一

眠れない夜がない。私は眠れる。どんなに心身がまいっているときもしっかり寝る。八時間は寝てる。

眠れないときには目をつぶって横になっているだけでも疲れはとれるものなんですよ。と、医師でもある歌人の岡井隆氏は言った。私は短歌の師匠を持たない歌人だけれども、結果的にいちばん言いつけを守ってきた先輩は岡井氏だ。

コンクリートの床に花見のときにつかうシートを敷き、その上にふとんを敷いて眠っていた時期がある。阿佐ヶ谷で「枡野書店」という、書店とは名ばかりの小さな小さな仕事場をイベントスペースのようにつかっていて、そこで何年か暮らしてしまっていたのだ。今は店のそばに風呂つきアパートを借りたが当時は銭湯通いだった。コンクリートが体温をみるみる吸っても、わりと眠れる。大丈夫だ。

もともとガレージだったのを改造してつくったような店舗物件で、やけに人通りが多く、中が丸見え。おとなりは帽子作家のかたのアトリエショップ。反対どなりは鞄のアトリエショップ。真ん中に歌人がこっそり寝泊まりしていた。カーテン的な布で窓たちを覆ってはいた。隙間から覗かなくても私のいびきが道に響いていた気がする。

そこでの暮らしを書いた本『愛のことはもう仕方ない』に一枚、近所に住む弟子の歌人、佐々木あららが撮った私の近影が載っている。師匠を持たないのに弟子を持つ歌人は世界でも珍しいが、彼の生家が近所だったのは偶然である。

それは真夜中に枡野書店の蔵書を整理している私を、窓の外から隠し撮りした一枚で、アパートを借りて邪魔なものを店からアパートへ移動させていたころの私だ。なんだか満ち足りた顔をしている。離婚して十数年間会えてない息子がいる四十代後半には見えない。

枡野書店はだれもいないときも暗い灯りをつけておくようにしている。私の仕事を窓の外から覗いて興味を持ってもらうことが店を続けている最大の目的だからだ。窓辺に時計を置いているのも、道ゆく人に時間がわかるように、だ。

離婚調停中に住んでいた風呂なしの仕事場には小さなウォークイン書庫があり、そこの蛍光灯は寝るときもつけっぱなしにしていた。離婚が成立して引っ越しする日まで消したことがなかった。すべての本のジャケットカバーが白っぽく退色し、古本屋に売ることもできなくなった。それで自分の蔵書を売る店を始めようと考えたというわけではない。最初のころは申しわけ程度に売ったりもしていたけれど、今はトークイベントのついでに読み終えた本をあげてしまうというスタイルをとっている。

窓の外に、半透明のプラスチック製の箱が置いてあり、その中には詩歌のフリーペーパーや読み終えた漫画雑誌などをいれてある。ご自由にお持ち下さい。雨にぬれないように、ふたをしっかり閉めて下さい。投げ銭はポストへ。とチョークで書いた黒板を添えて。朝にポストを覗くと十円玉や百円玉が入っている。窓から店の中も覗いてみてくれただろうかと思う。

送っていただいた本や自分で買った本を、窓から見える場所に陳列している。ここで見て、興味を持ったら書原という、近所の深夜までやっている新刊書店で買って下さいと案内してきた。十数年前、夜泣きする息子を抱いて夜な夜な通っていた店だ。枡野書店の物件を借りる動機のひとつでもあったその書原は今年二月で閉店した。

消えるから炎 やまない雨はなく いつか必ず死ぬから命

PROFILE

枡野 浩一 ますの こういち

1968年東京うまれ。歌人。
短歌小説『ショートソング』(集英社文庫)、離婚小説『結婚失格』(講談社文庫)、ツイッター発の詩集『くじけな』(文藝春秋)など著書多数。最新刊は写真短歌集『歌』(雷鳥社)。
執筆活動のほか、テレビ・映画・演劇に出演するなど幅広く活動中。
2012年より南阿佐ヶ谷「枡野書店」店主。

枡野 浩一

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

枡野書店の間接照明を毎晩どのくらいの暗さにしておこうか考えているので、そのあたりを書きたいと思いました。

このエッセイを読まれた方へ

枡野書店では毎週月曜日の15時から22時まで「夜の図書室」というイベントをやっています。数名のお客さんがおのおの静かに枡野書店の蔵書を読むだけ。代金は漫画喫茶方式です。店番は弟子の歌人の佐々木あらら。枡野店主が時々コーヒーを淹れたりもします。おやつや飲み物の代金は投げ銭で。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

眠れます。寝る前にも豆から淹れたコーヒーを飲みます。