「窓」といわれて突如思い出したのは「トットちゃん」だった。
女優、黒柳徹子の自叙伝『窓際のトットちゃん』は彼女が実際に通った小学校、トモエ学園を舞台にした物語だ。1981年に発表され大ベストセラーになったこの本は、登場人物の先生や生徒が全員実名で出てくるという、(プライバシーには誰もが口うるさい)現在では実現が難しいノンフィクション作品である。
戦前、目黒区自由が丘にあったこの学園では小林宗作校長を中心にとてもユニークな教育が行われていた。教室が電車の車両だったり、時間割がなかったり、散歩ばかりしていたり、全裸でプールに入ったりと、それはもう楽しそうなこと。僕も小さな頃にこの本を読んで、母に「ここに行きたい!」と切望したというのは本当の話である。
なかでも、子供を子供扱いせず、一人の人間として導こうとする小林校長の姿勢は多くの教育者や親に影響を与えたはず。なんでも原作者のトットちゃんこと黒柳徹子が多くのオファーを断りこの作品を映像化しなかったのは、校長を演じることができる人がいなかったからだという。そんな唯一無二の小林校長は、初めて会ったトットちゃんの話を4時間も親身に聞き、「君は、本当は、いい子なんだよ」という自己承認を両親以外で初めて彼女に与えてくれた人だった。
ところで、そのトットちゃんがトモエ学園に転入する理由が「窓」だったのである。実は、以前通っていた小学校を数ヶ月で退学になっていたトットちゃん。なんでも、授業が始まっても窓際に立ち続ける彼女は、通り掛かるチンドン屋さんを呼び込むため、ずっと外を眺めていたのだ。
当時は、派手な衣装を着て太鼓を鳴らしながら新店舗や新商品の宣伝をするチンドン屋がよくいたのだが、そんな彼らが道に面した教室の前を通るたび「チンドン屋さーん」と外に向かって叫ぶトットちゃん。「ねえ、ちょっとだけ、やってみて?」と小学1年生の少女にお願いされたら、クラリネットや鉦や太鼓でピーヒャラやらないわけにはいかない。他の生徒も授業そっちのけではしゃぎだすものだから、授業にならないわけだ。
いまだと、LD(学習障害)、ADHD(注意性疾患・多動性障害)、AS(アスペルガー症候群)など何らかの疾患だといわれてしまいそうだが、放校されたトットちゃんを温かく包み込む寛容さがトモエ学園にはあった。そこは、すべての子供をありのままに受け容れる場所だったのだ。
しかしながら、昭和20年の夜にあった東京大空襲で学園は全焼してしまう。いつも通り、ヨレヨレの黒の三つ揃いのスーツを着て、上着のポケットに手を入れたままの小林校長は、夜中に学園から上がる炎をじっと見つめながら、息子にこう話しかけた。「おい、今度は、どんな学校、つくろうか?」。
同じ頃、トットちゃんは東北に向かう満員の疎開電車に乗っていた。そして、暗い窓の外を眺め未来に対する不安を感じながら「また逢おうな!」といった小林校長の言葉を彼女は思い出すのだった。闇に動く電車窓の灯りの下にいた少女、トットちゃんは結局テレビ女優の第1号としてデビューし、現在まで「トモエ学園イズム」の面目を躍如する活躍を続けている。「トモエの先生になる!」というトットちゃんが小林校長に語った夢は実現できなかったけれど、この本を生み落とすことで小林校長との約束は少し果たせたに違いない。
思い恥じらうことなく日々楽しくいきたいと思っています。
本棚の片隅でしばらく眠っているような本も悪くないですよ。
奇妙な集中