Vol.41 702号室

植本 一子

学生の頃、世田谷にある賃貸マンションに住んでいた。8階建ての7階にある10畳一間のワンルームだった。各階に10程の分譲住宅が入っていて、7階にあるわたしの部屋を含む3部屋だけが賃貸で貸し出されていた。家族が多く住んでいたから、マンション全体にアットホームな感じがあった。わたしはエレベーターを降りてすぐの701号室。西向きの大きな窓から見える夕陽が何よりのお気に入りだった。

4年住んだうちの数年、同級生で仲の良かった男友達が隣に越してきたことがある。男とはいえなんだかアンニュイなやつで、同い年ではあるけれど、弟のように可愛がっていた節がある。わたしの家にもよく遊びに来ていて、ある日隣の部屋が空いたから引っ越して来れば?と軽い気持ちで提案すると、それから2週間後に彼はお隣さんとなっていた。本当に慕ってくれていて、私たちは姉弟に間違われることもあった。

隣同士で暮らしたのは、彼が学校を卒業し、地元の静岡に帰るまでの数年だったが、本当に毎日が楽しかったのをよく覚えている。わたしは広島の田舎の山間部で育ったので、東京の夜が暗くないことにまず驚いていた。そしてワンルームの部屋の狭さ。都心の家賃の高さ。親には相当無理をさせての世田谷での学生一人暮らしだったと思う。そいつを隣の部屋に誘ったのも、心細かったからだ。まだ何者でもない自分が、この大きな街でこれからどうなるのか。見晴らしのいいベランダで彼と将来についておしゃべりしていると、だんだんと不安よりも期待の方が大きくなっていった。

帰って来た時にドアの横の小窓からオレンジ色の光が漏れてるのを見ると、疲れていても嬉しくなった。用もないのにチャイムを押し、とりあえず顔を見せる。それはお互いにそうだった。一緒に買い物に行ったり、夕飯を食べたり、テレビを見たり。たくさんたくさん話をしたはずなのに、もう何を話したかさえ覚えていない。それでも、彼の声や、部屋の明かりの色、一緒にいた空間をありありと思い出せる。彼のお陰で、わたしはひとりぼっちではなかった。それは彼も同じだろう。ここ東京で、最初の生きる力をもらったような気がしている。

今でも時々そのマンションの前を通りがかると、下から7階を見上げる。今ではもうこの世にいない彼と、まだ学生のわたしが、ベランダ越しにおしゃべりしているような気がして。オレンジ色の光が窓から漏れていたら、元気ですか?と彼に向けて、心の中で声をかける。
「あの時は隣に暮らしてくれてありがとう。お陰で今でもなんとかやっています」

時空を超えて届くように。

PROFILE

植本 一子 うえもと いちこ

1984年広島県生まれ
2003年にキヤノン写真新世紀で荒木経惟氏より優秀賞を受賞。 写真家としてのキャリアをスタートさせる。
広告、雑誌、CDジャケット、PV等幅広く活躍中。
2013年より下北沢に自然光を使った写真館「天然スタジオ」を立ち上げ、一般家庭の記念撮影をライフワークとしている。
著書に「働けECD~わたしの育児混沌記~」(ミュージック・マガジン)「かなわない」(タバブックス)がある。

植本 一子 うえもと いちこ

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

届かないところにいる彼がいつか読んでくれるといいなと思い書きました。

このエッセイを読まれた方へ

忘れていた大切な人のことを思い出してもらえれば。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

眠れない時は本を読みます。