Vol.42 無精の灯り

小嶋 陽太郎

覚醒常態と睡眠常態の境界について個人的に研究を重ねている。その二つの状態のあいだには橋がある。人間は、眠るときにはその橋を渡らなければならない。それは「理性の橋」と呼ばれている。人間の強さは「理性の橋」上で選択する行動で問われる。

紙面の都合上、端的に述べると、人間は、寝る前に電気を消せる人間と電気を消せない人間の二種類に分けられるという話である。

僕は寝るときには漫画か本を持ってベッドに入るのだが、それらを読むには灯りがいる。部屋の電気はつけたままベッドに入る。本を読みながら寝る。不思議なもので、「眠くなってきたから今日はもう寝よう」と自覚的かつ自主的に本に栞をはさんで閉じて眼鏡を外して電気を消して目も閉じて、というスマートな睡眠への移行ができない。いつも文字を追っているうちに瞼が重くなり、眠気に脱力した手から本が自然落下し、気づくと理性の橋の上に立っている。理性の橋の端っこの、睡眠状態に足を踏み入れる直前のところには四角い眼鏡をかけた神経質そうな顔の男が立っていて、「すっごく眠そうなキミに二つの選択肢を提示しよう。1:電気を消して寝る。2:電気を消さずに寝る。どちらを選んでもいいよ」と言う。

「……はあ」

「ちなみに1を選ぶことをボクはおすすめするよ。眠気に負けて電気を消さずに寝たら、明日の朝キミは天井で煌々と光る白い電気を見て、ああ、電気代もったいなかったなあ、なんでちょっとだけ頑張って電気を消さなかったんだろう、と後悔すること必至だからね。あと眼鏡も外しなよ。さあ、どちらを選ぶ?」

「じゃあ2で」と僕は答えて理性の門番を押しのけ電気を消さずに寝る。眠いのに体を起こすの面倒だから。

翌朝、目を覚まして、天井で煌々と光る白い電気を見て、ああ、電気代もったいなかったなあ、なんでちょっとだけ頑張って電気を消さなかったんだろう、と後悔する。眼鏡も外してない。

僕はこうした「寝る前に電気を消せない人間がつけっぱなしにした何の役にも立たない灯り」を「無精の灯り」と呼んでいる。

友人と晩飯を食べて、帰りが午前二時や三時など遅い時間になったとき、帰り道にあるマンションや民家の窓からぽつぽつと灯りがもれているのを見るが、あれらのうちの七割は意味のある勤勉な灯り(仕事や勉強や趣味のための灯り)で、三割は無精の灯りだと僕はにらんでいる。

無精の灯りをともすタイプの人間は、程度の差こそあれ、ほかのすべての局面でもその無精を発揮する。常に楽なほうへ流れる向上心のない意志薄弱な、いわゆるダメ人間である。人生を少しでも前向きに、そして上向きにしたかったら、どんなに眠くても意識が途切れる前に電気を消す人間になる必要がある。が、彼らには、というか僕にはそれがとても難しい。

でも僕には明るい展望がある。

めざましい科学技術の進歩により、三年以内には人間の脳と連動して意識が途切れたら自動でスイッチがオフになる電気が開発されるんじゃないかなあ、そんな気がするなあ、そうだといいなあ。

みたいな感じで己の努力以外のところに活路を見出そうとするから僕はダメなんだろうなあ。

PROFILE

小嶋 陽太郎 こじま ようたろう

1991年、長野県松本市生まれ。信州大学在学中の2014年、「気障でけっこうです」で第16回ボイルドエッグズ新人賞を史上最年少で受賞し、角川書店より単行本デビューした。著書はほかに『今夜、きみは火星にもどる』(角川文庫)『こちら文学少女になります』(文藝春秋)『おとめの流儀。』『ぼくのとなりにきみ』『ぼくらはその日まで』(以上ポプラ社)などがある。Boiled Eggs Onlineの「今月のゆでかげん」に月一作のペースでエッセイを寄せている。
http://www.boiledeggs.com/koji_box/kojisiki0.html

小嶋 陽太郎 こじま ようたろう

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

できるだけ無駄な灯りはつけないようにしたいなあと思いました。

このエッセイを読まれた方へ

眠くて指一本動かしたくないときに電気を消すコツを教えてほしいです。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

暑くも寒くもない、ちょうどいい温度です。