Vol.43 音威子府の窓

管 啓次郎

このところずっと心に住みついている窓がある。その窓のことを思うと、しずかな勇気が湧いてくる。それは遠い土地に、実在する窓。

秋が急速に深まる一日、北北海道の音威子府村を訪ねてきた。旭川は内陸部の大きな都市だけれど、そこから鉄道の宗谷本線とつかず離れずで北にむかう道は、名寄を過ぎたあたりから、がらりと雰囲気を変える。酸素が濃くなり、道路脇の樹々が美しくなり、広大さに宇宙みたいな青みが加わる。だんだん鼓動が高まってくる。

大きく蛇行する天塩川の流れのほとりにあるこの村に、美術家・砂澤ビッキがかつて住みアトリエとした建物を見に行った。天塩川には幻の大型魚イトウも、沿岸性で通常ここまで内陸部では営巣しないというオジロワシもいる。われわれが日頃「日本」という名によって理解している風土とは、どこか根本的にかけ離れたものがある。燃えるように色を変える森、透明な光を宿す風、ひんやりと冷たい空気。しずけさが、人の少なさを教えてくれる。

日本でもっとも人口が少ない村のひとつ。一九七八年、廃校になった筬島小学校跡に、ビッキが引っ越してきた。以後十年あまり、彼の早すぎた晩年は、もっぱらここでの作品制作に費やされた。容貌魁偉、がっしりと太い巨体で、渾身の力で大きな木彫作品にとりくむ彼には、最高の環境だったろう。ここにひとりで住んだ。ひとりで彫った。冬には零下三十度にもなるという酷寒の地、積雪もすごい。この風土が突きつけてくるものに、全面的に感応した。

現在では砂澤ビッキ記念館として公開されているここで、すばらしい話を聞いた。稚内から札幌へと走る列車が、午前三時に音威子府を通過する。そのとき、北の夜に汽笛が鳴りわたる。ビッキは毎夜それを聞き、それによって時刻を知り、自分を奮い立たせた。彼に闘いの相手がいたとしたら、それは夜。孤独なアトリエをいっそう孤独にさせる夜、彼は身体と精神のすべてを集中する。夜明けまで。ひとりで、もっとも深い時間に下りてゆく。

で、ぼくが思ったのは、その彼の仕事ぶりのすべてを目撃していた、部厚い大きなガラス窓のことだ。夜は彼の敵でもあり、同時に最高の仲間でもあった。夜の力を借りて、午前三時のビッキは大胆に、繊細に、生きた素材である木に立ち向かう。その姿を、たぶん誰も見ていなかった。あるいは、きつねや鹿やエゾウサギが、ときには窓を覗きこんだんだろうか。

これは強烈なイメージだ。あまりに多くの窓にいつも灯がともっている都会とは対極の場所で、たったひとつの窓が一晩中起きている。窓とは、いわば双方向的な眼で、内の者は外を、外の者は内を、深い興味をもって見ている。少なくとも、気配をうかがっている。雪に閉ざされた音威子府の午前三時は、ひとつのガラス窓により分割されながら、夜と光の、ビッキの生命の燃焼と周囲で息づく自然の、両方にむけてぼくらを誘ってくれる。

この不世出のアイヌのアーティストがぼくらに贈ってくれたのは、北の大地と風、水と炎の劇だった。死が、すでに、彼とぼくらを永遠に引き離した。でもそのとき、彼が残した作品たちのそれぞれがまるで窓のようにして、ビッキの魂に、ビッキが見た風景に、ぼくらをむすびつけてくれるのもおもしろい。

北の村の午前三時の窓を、ときどき思い出してみてください。

PROFILE

管 啓次郎 すが けいじろう

1958年生まれ。詩人、翻訳家。
明治大学大学院理工学研究科PAC(場所、芸術、意識)プログラム教授。主な著書に『コロンブスの犬』、『斜線の旅』(読売文学賞)、『オムニフォン〈世界の響き〉の詩学』、『ストレンジオグラフィ』、詩集に『数と夕方』(近刊)、訳書にサン=テグジュベリ『星の王子さま』、エイミー・ベンダー『レモンケーキの独特なさびしさ』などがある。

管 啓次郎 すが けいじろう

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い

窓はつねに未知の世界への窓。良いものであれ、悪いものであれ、窓のむこうにひろがる風景は、ぼくらの世界を変え、勇気を与えてくれます。最近出会った、もっとも力強い窓のことを書きました。

このエッセイを読まれた方へ

北北海道のすばらしさを初めて知りました。天塩川への旅を、ぜひお勧めします。この土地、秋は完璧ですが、いうまでもなく、冬のきびしさはとても想像がつきません。かなうことなら、いつかそこで一冬をすごしてみたいものだと思います。

ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?

プルーストの有名な長い長い小説『失われた時を求めて』を、みなさんご存知だと思います。日本語訳も数種類出ています。眠れないときには、それを読むと決めてしまいましょう!ほぼ永久に読めます。最後まで来たら、またくりかえせます。そのうち夢と現実が入り混じって。