小学校の時、ぼくはサッカーをやっていたので帰るのが遅かった。冬なら暗く、とても寒くて腹もすいていた。家まで歩いてだいたい十分。友達と帰るということがなかったから、一人であちこち寄り道をして、ねずみの白骨化していく死骸を見たり、勝手に「タロー」と名付けたよその家の犬をなでたり、そのままその家の中を戸の隙間からのぞいたり、そこら中にいた野良猫を眺めたり、雀が夜を過ごすのに集まる木の下でやいのやいの会議をするのを見上げて聞いたり、そんな事を毎日しながらようやくかつて電電公社と呼ばれた建物の前の、小さな二階建てのアパートの前に着くと、二階の左のはしに、台所の前の小さな窓が見えて、そこに灯りがいつもついていた。
とじられたガラスの窓の向こうには必ず母がいて、晩御飯の用意をしていた。夏なら窓はあいていて、灯りに照らされた母の頭の上らへんが見えた。毎日毎日。ほんとうに朝昼晩、毎日毎日。それをぼくは毎日食べていた。「おいしい」と言い「まずい」と言い食べていた。なのにぼくはそのほとんどが思い出せない。ひどい話だ。それを食べてぼくは育ったのにもかかわらず。母は死んで三十年近くになる。
光には速度があるという事を知ったのはいつだったか。光源から空気をつらぬいて走ってきた光の粒子(でもあるし波動でもあるらしい。計測の方法によって光は見せる顔が違う。その状態を思い浮かべる事が出来ない。)が目玉にたどり着いてはじめて「見えた」と、なる。
あの時、母は台所にいた。台所でぼくや妹や父の食べる晩御飯を作っていた。灯りは蛍光灯。ぶら下がった紐を引いて母がつけた。母のちょうどおでこの斜め上あたり。ガラス管の中に放出された電子が、管の中に注入された水銀ガスと接触し、紫外線を発し、それに反応したガラス管の内側に塗られた蛍光物質が白く発光する。そうして生まれた光は猛烈な速度であちこちに向かい、その一つか、二つか、三つか、もっとか、飛んで来た光の粒が、波動が、その時、ちょうど障害物のない場所に立つぼくの、目玉に当たり、当たった目玉はそれを捉え、どういう仕組みか信号として脳に送り、送られてはじめてぼくはそれを、見た。光が猛烈な速度で移動するその時間だけ前の、窓の灯りを、ぼくは見た。
ぼくは過去を見ていた。
今も顔を上げると様々なものが見える。上げずとも見える。目にうつる、すべてそれらは過去だ。ほとんど瞬間ではあるけれど、しかし過去だ。星がそうだ。太陽も、夜の空に見える星のどれもが、月も、すべては過去だ。目は過去を見ている。過去しか見えない。触れたものだけが今だ。
ぼくは下から見上げている。窓の灯りの向こうでは、死んだ母はまだ生きていて、不機嫌な顔で台所で晩御飯の用意をしていて、母はいつも不機嫌だ、死んだ父も生きていて、仕事場から「駅に着いた」と電話がかかって来る頃で、それをとるのは妹で、妹が見るテレビがついていて、作られる晩御飯のにおいの充満する部屋にはぼくはまだいない。ぼくは母の向こうの窓の下の先にいる。それは「過去」の思い出ではあるけれど、見ていた時点で過去だった。だとするなら「今」見ていた夢と同じだ。
光の仕組みについていつも考えています。中にも書きましたがすべては「過去」という事実に驚きます。見ていたその時も「過去」なのなら、それを思い出す「今」と同じではないか。そんな事を考えて書きました。
今見えているもの聞こえているものも、かつて見えたもの聞こえたものも、実は変わらず「今」なのではないかと考えてみると、時間は不思議なやり方で混ざりはじめるように思います。
必ず何冊かの本を枕元に置いて少し読んでは別の本、少し読んでは別の本を何度も繰り返します。