私は2LDKに一人で暮らしている。リビング、寝室、残る一つは書斎。この書斎の窓がマンション廊下に面しており、その前に執筆机を置いている。そのため眼前を人が通るような格好となるのだ。 訝しく一瞥する人はまだましというもの。また変な男がいると思うのか、あきらかに気づいていても気づかないふりをする人が殆どである。毎日午前8時頃から、深夜の2・3時頃まで。皆さんが通勤して、残業をして帰ってもまだ座っているのだから、気味悪がられるのも無理はない。
出張の間を除き、2018年1月1日からずっと続けている。私は多作のほうだが速筆というより、単純に原稿に向かっている時が長いというのが一番の理由である。 何故これほどまで書こうとするのか。別に根が真面目という性質ではない。どちらかといえば怠け癖のある男であった。
私はダンスインストラクターという作家として一風変わった前身を持っている。直には250人程の生徒を教えていた。レッスンの前後に雑談をすることもある。その時から私はいつか作家になりたいと思っており、「出した本がめっちゃ売れたらどうする?直木賞とか取ってまうかもな」と、冗談交じりに皆に語っていた。反対に生徒に将来のことを相談されては、「若いのだから何にでもなれる。諦めるな」そう答えていたものである。そんな私を冷ややかな目で見る、当時高校一年生の生徒がいた。彼女は家出を繰り返しており母親によく相談されていた。 母の電話は出ないが、私の電話は何故か出る。そのため何度も家出した彼女を迎えにいった。大袈裟でなくそれが十回近くあった。ある時、私はこのようなことしてても何にもならないだろう。何か将来なりたいものはないのかと尋ねたことがある。「どうせ無理やし」彼女は吐き捨てるように言った。「そんなことない。諦めるなよ」熱血ぶって言う私に対し、彼女はこれまでで一番冷たい調子で言い放った。
―翔吾君も夢を諦めてるくせに。
穴があったら入りたかった。何故なら彼女の言う通りだったからである。小説を一本も書いたことが無い。「いつか」という来ることの無い枕詞を付けることで言い訳していた。その時に私は自分でも予想外の言葉が口を衝いて出た。「俺の残りの人生で夢は叶うということを証明する。だから諦めんな」こうして私は三十歳で職を辞し、初めて小説を書いた。三十二歳でデビューして今に至る。作家として号泣したのはただの一度切り。直木賞の候補に選出された時である。何故なら彼女は去る時の私に対し、「ただの作家じゃ駄目やで。直木賞作家にならないと」と、悪戯っぽく笑って言ったからである。これまで小さな窓から広がる空を見ることはなかった。だがその連絡を受けた日、焼けるような夕焼けを見つめていたのをよく覚えている。
私はまだ彼女との約束を果たせていない。夢の途中である。執筆が辛くなった時、そのことを思い出してまた机に向かう。今日もマンションにただ一つだけ窓明かりが付いている。
深夜にコンビニに行く時、同じような窓明かりを見つけることがある。全てがそうではないだろうが、同じように夢のため、あるいは家族のため、頑張っている人ではないかと夢想する。そんな時、 私は心の中でそっとお互い頑張りましょうとエールを送り、またパソコンに向かうのである。
この約3年間の大半を同じ窓の前で過ごしました。
きっといつもマンションの住民には「いつもあそこは灯りがついているな」と思われていることでしょう。
人生には何度か頑張らないといけない時期があると思います。
深夜の「窓の灯り」の数だけ、誰かの頑張りがあるのかもしれない。そんなことを思い筆を取りました。
夜遅くまで仕事をするなんて今の時代にあっていない。そう思われる方も多いかもしれません。
しかし私はそんな時代だからこそ、昔よりも頭一つ抜けやすくなっていると思います。夢は叶いやすい時代だと思います。
あくまで人それぞれ。人生の何に重きを置くかだと思います。そんな考えかたもあるなと思って頂けたならば幸いです。
私はやはり読書ですね。たとえどんなに夜が更けていても、朝日が昇り始めていても、10分でも読むようにしています。
それを仕事にしてしまったのですが、その時だけは趣味に戻ります。これは中学生の頃から変わらない日課ですね。