「夜の3丁目は静かなもんですから…」
初めての警察署に緊張しているのか男は少し手を震わせながら、私の前で言った。
しかし男の風態から推察してしまうと手の震えは多分アルコール依存によるものだろうし、単純に汚らしいし、できれば話などしたくない。「よく街にいる汚い人」それが彼だ。男の何が嫌かって他は全部清潔感がないくせにボタンを一番上まで止めているところ。こういうおっさんに垣間見える「こいつを溺愛する母」の断片が本当に気持ち悪い。メガネもダサい。
「窓見てるんです。人がいるとかいないとか…趣味っていうか感覚で」
吐き気がしてきた。「趣味」を「感覚」と言い換えてる。言葉も下手くそか。
事件当日、午前2時ごろ。男は3丁目を徘徊していた。男の言葉を借りると日課の「歩行」らしい。(「散歩」と言えばいいのに何が「歩行」だ、気持ち悪。)「歩行」中、男は3丁目の窓の明かりを数えているのだと言う(怖。)この男、何かしでかしてやいないかと、私は歩行の理由を強めに問いただしてみた。
「僕がそういう風に見えたのなら僕の責任ですね。」
めちゃくちゃ早口で言ったその戯言の速度に合わせて、虫唾が走る。でも聞き取れる。何こいつ。
言ってなかったが、この男、声がいいのだ。この見た目で良い声なのだ。すっごく無理。
…その後男は3丁目の独居老人Tの家の前で足を止める。
窓には明かりがついていた。
「小さい時、Tさんによく遊んでもらったんで…」
地元かよ。故郷で徘徊すな。右手で左の顎のライン掻きながら上目遣いでこっち見て喋んな。
男によるとその時間にTの家の明かりがついている事はまず無いそうだ。不審に思った男は(お前が思うな)家の鍵をこじ開け大声でTを呼んだ。(良い声だったろう、ムカつく。)男は廊下の隅で蹲っているTを発見。すぐさま救急車を呼び、応急処置を施した。
「恩返しって言ったら…Tさん嫌がるかな?」
あ~立件してえ。
スッキリとした嫌悪が北島康介のヒーローインタビューの様に出た。
その後Tは一命を取り止め、現在療養中である。Tの強い希望により、男には感謝状が贈られることになった。署長、なんかわかんないけど辞めません?と喉まで出かかったがなんとか止めた。署長室にいた我々は、ちょうどその時間窓から差し込む夕陽で目がチカチカしてしまって「お~…」とオカリナみたいな声を漏らした。男は記者から一生分くらいのフラッシュを浴びている間、私の方を見て自慢げに親指を突き上げた。
おえー。
今日もまた、3丁目に夜が来る。
明かりの数はいつもと変わらず、独居老人の家の明かりが病院の一部屋に移っただけ。早めに退勤した私は、熱いシャワーを浴び、時折り舌打ちしながら化粧を落とした。部屋の明かりを消そうとスイッチに伸ばした手が、何故かあと3センチだけ躊躇し、押さなかった。
明かりが消えない部屋。
『このまま明かりを消さなかったら、誰かが鍵をこじ開け会いに来てくれるかも…』…いかんいかん。 あたしゃ擦られ尽くしたエッセイストの表現か。明らかに疲れてる。急いで我に帰り、明かりを全部消し、枕に顔を埋めた。
3丁目の明かりの総数に、マイナス1。
毎日、誰かが、何かが動いている結果が窓の明かりです。
「明かりの総数」という言葉が出てきますが、何でもないその日に総数をプラス1するのか、マイナス1するのか。そこにドラマがあるのではないかと思い書かせていただきました。
9月にドラマティックゆうや単独公演がございます。
よろしくお願いいたします!
薄めのハーブティー、Roy Andersonの映画、読みかけの詩集、Yael Naimの音楽、祖父のメトロノームです。