生まれてこのかた30年余り、僕はずっと誰かに依存して生きてきた気がする。
ふわりふわりとあっちに行き、こっちに行き…いつまでたっても自立しない。映像を作ること以外さして興味もなく、お洒落な服にも、難しい名前の洋酒にも、ハイテクな家電にも興味がない。立ち止まってしまうと、自分がつまらない人間だということが、隠しきれない気がして、いつも「忙しいぶって」いる。
「窓の灯り」と聞いて、ふとあの頃のことを思い出した。
何者にもなれず、無名だった20代のころのこと。僕はずっと誰かとルームシェアをしてきた。神楽坂という街が大好きで10年も住んでいた。大学を卒業しても定職に就かず、ずっとふわりふわりと東京を浮遊していたあの頃。不安なんだけれど、口に出してしまったらそれこそ全部が終わってしまうんじゃないかという、見えない恐怖をずっと内包していたあの頃。
20代前半は、自分的モラトリアム最盛期で、僕らの家には自称監督や、自称俳優がずっと入り浸っていた。安酒を飲み「理想の自分」を酔いに任せて雄弁に語りあった。
定職なんて世界とは縁遠い僕らには昼も夜も関係なく、仕事がある日は、「社会人」であることを少し自慢げに強調する。今思えば、とても恥ずかしい話だ。
神楽坂の坂を下り、家の「窓の灯り」が見えてくる。灯りがついていると、僕は安心する。
少し暗い、オレンジのタングステンの裸電球がテロテロのカーテンから透けて見えている。
僕は、今日撮影現場で起きたことを自分なりのちょっと誇張した言い回しでみんなに話してみせる。ひとしきり酔いの回った僕たちは、新しく発掘した海外のお洒落なミュージックビデオや映画の予告編をみんなで見て、「俺ならこうする」「編集がイマイチだな」とか批評家ぶって言ってみる。そこにある賛同や批判から生まれるものが小さな僕の世界の中心だった。
「窓の灯り」がついていないときは、どっと孤独が押し寄せてくる。暗く、静寂に包まれた室内は、よくないことばかり自分に問いかけてくる気がして、音楽を大きめにかけて誤魔化した。
その後、その共同生活は終わりを迎えたのだが、不思議なものでその同居人たちと一緒に会社を作ることになり、同志から同僚へと役職を変え、いい大人になった今も大して変わらない生活を送っている。変わったことといえば「社会人ぶる」利口さを身に着けてしまったことだ。外から見たら立派な会社になっていることも少し出来過ぎたストーリーな気がして「背伸びしちゃって」と自虐したくなる。
市ヶ谷にあるいびつな形をした雑居ビルが今の僕たちの「窓の灯りのありか」だ。あの時に雄弁に語った理想通りの自分たちとは違うかもしれないけれど、今でも会社の窓に灯りがついている。それが、僕の心の支えでもある。
僕にも家族が出来て、僕よりもしっかりした子供が生まれ、今では家の窓の灯も僕の大切な支えの一つだ。家族にお土産を買うような大人になるとはあの時は想像もしていなかったけど、それはそれで幸せなことなんだなと思う。
会社からの帰り道、窓の灯りを見ると、沢山の人生があることを実感する。家族の幸せ、仲間との幸せ、ペットとの幸せ…。そこにある幸せが、少しずつ変化しながらもずっと続けばいいなと思う。
今日は、寄り道しないで家に帰ろう。
初心者は初心者らしく、僕なりの「窓の灯り」を書こうと思ったら回顧録みたいになってしまい、これでよかったのか、とても心配です。
9月に「宇宙でいちばんあかる屋根」という映画を公開します。
今回のエッセイのテーマととても近い部分があると思うので、是非映画も観ていただけると嬉しいです。
眠れるまでずっと見る。