いつだったか友達が、街に建っているタワーマンションを指差して、「タワマンを見ると、縦に真っ二つにしたら人が蟻の巣みたいにうじゃうじゃいるのを想像しちゃうんだよね。」と言っていた。今までそんな想像をしたことがなかったので発想が面白いなぁと思って、それ以来タワマンを見るとその子の発言を思い出して、ここにはどんな人が住んでいるのかなぁとか、つい断面図を想像してしまうようになった。
私が20歳で上京して初めて住んだ家は、3階建てのアパートだった。部屋は2階にあって、6畳の1K。築年数がそれなりに経っていてすごく綺麗とは言えなかったけれど、当時は荷物も少なかったのでちょうどよい広さで、道を挟んで向かい側のお家から時々聞こえてくるピアノの音がお気に入りだった。おそらくその家の子が練習しているのか、少し詰まったり同じ箇所を何度も弾き直したりしていて、少し不器用な音色だったけれどそれがとても心地よかった。
あともう一つ好きだったのは、部屋についていた大きな出窓。
一度、換気をしようと窓を開けたままにして外出したら、その間に虫が入り込んでしまったことがある。夜の11時頃そのことに気づき、虫に触れずしてなんとか外に追い出そうと2時間近く格闘した。大変な思いをしたけれど、今、振り返ってみるとそれもいい思い出の一つ。
早いもので、上京してからもうすぐ10年が経とうとしている。あのアパートはまだ変わらずにあるのかな。あのときピアノを弾いていた子はまだピアノを続けているのかな。
改めて考えてみると、窓は自分にとって部屋選びの重要なポイントの一つかもしれない。今住んでいる部屋も、色々と迷って内見した中で、「窓が大きめで位置も良くて、光がたっぷり入るから。」というのが大きな決め手になった。
あとこれは後になって気づいたことだけれど、道の上からマンションを見上げたときに、たまにプードルが窓際で日向ぼっこをしているのが見える部屋があって、そこも密かなお気に入りポイントになった。日によっていたりいなかったりするので、プードルを見ることができた日は何だか嬉しくなる。(私は心の中でプードルチャンスと名付けている)
外から見る「窓」という光景は、昼間は道を歩いていてもそんなに意識しないけれど、夜になるとたちまち主役になる気がする。
夜道、家やビルの窓から漏れる灯りを見るとホッとする。どこからか漂ってくる夕飯の香りと一緒に、人の存在や暮らしを近くに感じて安心する。
通りすがりの美容院、もう営業は終わっている時間帯、灯りの中にマネキンでカットを練習している人影が見えて、応援したくなる。
夜に見るタワーマンションは、窓の灯りがずらっと並んできらびやかで、何だかイルミネーションみたいで好き。
そういえば、静岡の実家に住んでいたとき、部活で帰りが遅くなるときは必ず、母が玄関の灯りをつけておいてくれたなぁ。暗い中自転車で帰ってきて、その灯りを見つけると嬉しかった。
部屋の中から見る窓は自分だけのものだけれど、外から見る窓はそんな街の景色や空気を作っていて、私の部屋の窓から漏れる灯りも、その中の一つになっているかもしれない。と思うと、少し嬉しい。
読んでいただきありがとうございました。