パリに通うようになってから、もう十年以上が経つ。
作家になる前から胸の中で温めていた小説『楽園のカンヴァス』 の舞台はパリと決めていた。ピカソやルソーなど、二十世紀初頭を彩る芸術家たちが登場する物語。彼らの足跡を訪ねて、いつかパリに長期滞在をしたいと願い続け、作家になって五年目の冬、意を決してパリに赴いた。古いアパルトマンの一室を借りて、自炊しながら取材をし、物語の創作の準備をする。長いこと夢見ていた生活が始まった。
その部屋はエレベーターなしの6階、最上階に位置していた。などと聞くと「へえ、ペントハウスか!」と思うかもしれない。まあ確かにそうなのだが、昔むかしのペントハウスには裕福な家庭の使用人の部屋があったのだ。お金持ちは二階かせいぜい三階に住むもので、最上階は貧しい人たちの住まいになっていた。
息を切らして螺旋階段を上っていき、ドアを開けるとすぐ正面に窓があった。窓越しに向かいのアパルトマンの窓が見える。「ヴィ・ザ・ヴィ」と言って、通りを挟んで窓と窓で「ご対面」がパリのアパルトマンの特徴なのである。キッチンの窓は明かり取りの窓で、風景はなかったが、朝起きた時は暗い窓が朝食の支度をするうちに次第に明るくなり、まな板の上で野菜を刻む手元を照らしてくれた。狭い階段を上っていくと屋根裏の小さな部屋があり、そこにはベッドとテレビが置いてあって、ごろ寝しながらテレビを眺められる。ベッドの真上にはやはり明かり取りの天窓があった。この天窓が実にパリらしく、こういう部屋に憧れてたんだよねえ、と入居前の下見に訪れたときには嬉しくなったものだ。天窓があったからこそ、そこに決めた、と言っても過言ではない。
入居したのは二月で、朝の訪れがまだ遅い時期だった。パリは夏になれば夜がぐっと短くなるのだが、逆に冬はいつまでも暗い。一月二月は午前九時頃になってようやく明るくなる感じだ。日が昇らないと体が目覚めないようで、いつもはさほど朝寝坊ではない私も、いつまでも布団にくるまってぬくぬくと眠りを貪る始末だった。
三月になった頃、思いがけず朝の到来を告げる「客」が天窓を訪うようになった。
鳩である。パリの空が白々と明るくなり始める頃、決まって天窓の近くへやって来て、私の頭上で鳴き始めるのだ。グルッポッポー、グルッポッポーと喉を鳴らし、恋のダンスを踊っているのだろうか、窓の上を行ったり来たり、忙しく動き回っているのが真上に見える。いつしか私は鳩の鳴き声で目覚めるようになった。「リアル鳩時計」である。それが面白くて、朝の到来を待ちわびながら眠りに落ちるようになった。不思議なことに、鳩は本当に毎朝毎朝、窓へやって来ては喉を鳴らした。彼は期待を裏切らず、時間通りにちゃんと私を起こしてくれた。
三ヶ月の滞在を経て、いよいよアパルトマンを退去する日がきた。前の晩、明日で最後だな、来てくれるかな、といつものように期待しながら眠りについた。翌朝、私は鳩が来るよりも早く目覚めてしまった。朝食の支度を始めてから、気になって天窓を覗きにいくと、いつものように恋のダンスを踊る可愛い姿が見えて、なんだかほっとした。
あの部屋に今、誰が住んでいるか知らない。けれど春になれば、きっと鳩が天窓を訪って、目覚めの時を告げているはずだ。
パリの窓辺にはさまざまな思い出があります。このエッセイはパリの最も良き思い出のひとつです。