22年前。
JR芦屋駅すぐのマンションの一室に、自営業の父の事務所があった。社員はいない。父だけの仕事場。
その部屋は、神戸線の線路をまたぐ歩道橋から見上げることができた。
カーテンをしていなかったため、暗くなると、事務所内のオレンジ色の灯りがよく目立った。
ラグビー部だった高校1年の僕は、部活帰りに、たびたび父の事務所に寄った。
目的は車。
本来の帰り方は、駅から1時間に2本しかないバス。タイミングが悪いと30分近く待たなければならない。
それが億劫だった僕は、歩道橋から事務所を見上げ、オレンジ色の灯りを確認。
真っ暗なときは、父がいないということなので、バス停に戻り、おとなしくバスを待った。
灯りが見えると、事務所に突撃。「一緒に帰ろう」とねだるのだ。
日によっては、仕事が終わるのを1時間以上待つこともあった。でも問題はない。なぜならば、コンビニへの寄り道があるから。
そこで僕はいつもアイスを買ってもらい、父が運転する車の中で食べた。嬉しかった。
「好きな子はできたか?できたら言えよ。色々教えたるから」
父の口癖といっても過言ではない。
これほど良好だった親子関係は、すぐに終わりを迎える。
高校1年の秋、父が死んだ。
余談だが、僕の通っていた高校には、親が死ぬと1週間休んでいいという校則があった。
だから1週間きっちりと休んだ。
心の準備は間に合わず、せめて10日に改正すべきだと思った。
数週間後、父の事務所を退去させることとなった。
僕は片付けを手伝った。何度も泣きそうになった。
事務所の窓から外を眺めると、線路をまたぐ歩道橋が見えた。僕がいつもこの部屋の灯りを確認していた場所。もうあの位置からこの部屋を見上げる必要はなくなった。でも僕はこの部屋を見上げることをやめなかった。
その後も帰り道に、バスの時間とタイミングが合わないときは、歩道橋に行き、父の事務所を見上げた。
当然、真っ暗。いつ行っても真っ暗。
それはつまり、父がいないということ。
この意味合いは、父の生前とは、全くもって違った。
猛烈に悲しかった。
それでも僕は事務所を見上げ続けた。悲しみを和らげる一心で。
でも悲しみの度合いは、猛烈のままだった。
そして、2月上旬の部活帰り。
バスの時間とタイミングが合わず、いつものように歩道橋に行くと、懐かしい光景が目に飛び込んできた。
父の事務所の窓からオレンジ色の灯りが見えたのだ。
この状況、真っ先に浮かんだのは、実は父が生きていた、ということ。
こんな希望はほんの2秒で消え、新たな入居者が決まったことを理解した。
直後、高校1年の僕は「父の事務所を奪うな!」と、真剣に思った。
でも徐々に、「一緒に帰ろう」とねだる自分、父が仕事を終えるのを待つ自分、車内でアイスクリームを食べていた自分がよみがえってきて、単純に、嬉しい気持ちに包まれたのです。
この場を借りて、真剣に言わせてください。
アナタの事務所の灯りは、誰かを元気づけているかもしれません。
今日も遅くまでお疲れさまです。
真っ暗な部屋で目を開けていると、いつしか眠れているのです。