秋田市の小さな街から、中心部に近い新興住宅地に引っ越したのは、秋田高専に入学してまもない頃だった。秋田もまだ活気に溢れていた。新しい家が整然と立ち並び、きれいに整えられた土地が胸を張って若い家族を待っているようなそんなところだった。
近所に知り合いはいなかったが、以前の家よりも格段に広い二階の部屋を与えられたせいかそんなことは全く気にならず、新しい人生が始まったと大袈裟に喜んでいたような気がする。
部活も早くに脱落し、不良でもなく、ただ真面目ばかりが取り柄だった僕は、高校と家との往復の毎日。ただだらだらと生きていた。それでも映画、特に洋画は好きで、見るだけでは飽き足らず、テレビの洋画劇場を見ながらスケッチブックに画を写しとっていたのを覚えている。ビデオデッキもなかった時代なので、なんとかして記憶に残したかったのかもしれない。
高専は電気工学科だったが、まったく興味が持てなかった。ただ漠然と世界を股にかけて仕事をしたいな、いや、やっぱり映画監督がいいな、などと窓から新しい家々を眺めながら努力もせずに夢想していた。
その中にその窓の灯りがあった。
五、六軒向こうだろうか、家と家の隙間に切り取られてそれはあった。夜更かしなのか、深夜になってもその蛍光灯の光は闇の中にいつも浮かび上がっていた。
その年の冬、突然ここにいてはいけないと思い立ち、五年制の高専を三年でやめて東京の大学に行こうと決めた。『アラビアのロレンス』だったか『ドクトル・ジバゴ』だったか、広大なロケーションの先を見たくなったのだと思う。
一人だけの受験生活が始まったがやる気が出ない。その窓の主を受験生と思い込み、先に寝てたまるかと頑張ったが、その灯りには一度も勝てなかった。つまり消えているのを見たことがなかったのである。勝てない相手はライバルにはならない。
結局受験は失敗、仙台で一浪したあと、東京の大学になんとか入学した。その後CMディレクターとして慌ただしい日々の中で、自分自身が窓の灯りを遅くまで放っていた。
久しぶりに実家に帰り、旧友としたたか飲んで帰宅し、ふと窓の外を見た。その灯りは相も変わらず、闇の中でゆるぎのない真っ白な光を放っているのだった。誰が住み、何をしているのか。怪しいと思い、翌日はじめてその家の前まで行ってみたが特に変わった様子もなく、それより自分の方が怪しいよなとそそくさと帰ってきた。
一昨年、地元秋田を舞台に映画『光を追いかけて』を撮影、今年十月に公開となる。過疎化も含め秋田の現状を反映させた青春映画である。試写会は好評で、小さいながらも三つの国際映画祭にも招待された。つまり映画監督になった。ぼんやりとした夢が形となったわけである。
先日映画のプロモーションで実家に帰った時、また急にあの窓の灯りを思い出し、外に目をやった。映画のテーマである「光」がその存在を思い出させたのかもしれない。
輝きを放っていた新興住宅地は四十数年を経てずいぶんとくすんでいて、家並みも一変していた。その窓はもう存在していなかった。それはそうだよなと思ったが、決して消えることのなかったどこか自信たっぷりにみえたあの光を、僕はしばらくの間探してしまっていた。
同時に、まだ自分が何者でもない頃のことが思い出されました。自分の人生の変化はもちろんわかりますが、世の中も、人も変わっていきます。あの窓の灯りの主もその人の人生を歩んでいるのでしょう。
当たり前のことですが、この世の刹那を感じる今日この頃です。
光を追いかけて、掴み取り、自らが光となった時、何かが生まれるのではと思います。
映画「光を追いかけて」はそんな映画です。程よく幸せになれます。