芥川龍之介賞というのがある。自分は三度候補になって、二度選ばれず、三度目はこれを書いている時点で結果が出ていない。これが読まれる頃には結果が出ている。
候補になると、発表当日の夕方には記者会見場である帝国ホテルの近くで待機しているように言われる。自宅で待ったり、編集者と食事やお茶をしながら待ったり、人それぞれだが、自分の場合は過去二回とも一人で、帝国ホテルのすぐそば、日比谷公園で風景を描写しながら待っていた。
モレスキンのノートに書くのだけれど、百聞は一見に如かずということで、一回目の候補だった「二〇二〇年一月十五日(水)17:20〜17:40」から一部を引用してみる。
“外灯のそばで、ヤシの尖った葉が灰色に鈍く輝いている。強い夜風にも詰まった葉の一つ一つは動くことなく、弧を描いた軸がうなずくように縦に揺れるばかりだ。後ろにそびえるビル群は、上から下までびっしり並ぶ金色のバーや、真っ白に光る無数の正方形の目で公園を囲い、視界の中で二手からヤシを温めているように見える。”
こういうことを日頃から色々な場所に座り込んで続けているのだけれど、普段はビル窓について書くことはない。東京のど真ん中と言ってもいいような公園で日暮れを過ごせばこそ目が行くのだから、候補になるのも悪くはない。
より強くそう思えるのは、同じ季節の同じ時間に同じ場所にいることで街の変化が捉えられた時だ。さっきの二〇二〇年は、一度目の緊急事態宣言が出される二ヶ月前、コロナ禍前夜とでも呼ぶような日比谷公園だった。
これが「二〇二一年一月二十日(水)16:40〜16:59」になると、ビル窓の灯りはこのように書かれている。
“道を渡り出てきた黒く小さな影はクマネズミか。池のほとりを石段つたって下り、岸辺を遠くまで駆けていった。カルガモが高々と鳴いて顔を上げれば、日はさらに落ちている。ビル窓の数え切れない小さな目は、灯ったものと消えているものが入り交じって、むしろきらきら輝いて見える。”
空きが出たのかリモートワークかはわからないが、ビル窓の灯りは一年で明らかに減っていた。しかし、一年前にその灯りを必要とした人は、どこか別の灯りの中にいただろう。そこで、それまでと同じように自分の仕事をこなしていただろう。どんな困難があろうとも、人の営みが続く限り、灯りが絶えることはない。
日比谷公園の暗いベンチに座ってビル窓を見上げている時にスマホが震えるのは、二年続けて同じだった。結果も、二年続けて変わらない。「残念ながら受賞ならずで……」と申し訳なさそうな編集者の声。
そんなこともまた、誰がどのように灯りを見たかということにすぎない。大事なのは、いつどこで何があろうと、自分の灯りを消さないことだ。それを忘れぬよう、今年もまた日比谷公園の暗がりに座って、窓の灯りを見上げて書くつもりである。