深夜ラジオのパーソナリティという、自分で言うとどうにも鼻につく仕事をやらせてもらっている。
生放送ではないから気楽なものだけれど、オンエアは、深夜四時。ちょうど眠りにつく人と起き始める人が、うっすらと交差し始める時間帯に声が飛ぶ。
リスナーから届くお便りも、明け方の気怠い空気や、夜道の心細さを吸い込んだような、独特の湿度を纏ったものが多い。
「ラブホテルで今日出会ったばかりの人と初めて聴いてます。好きな曲がかかって嬉しいです」
「トラックの運転中、なんとなく流し聴きしている。最近気に入っていた定食屋が潰れてしまって、その店主に別れを言えなかったことを悔やんでいる」
それぞれの四時の窓の内側を少しだけ見せてもらって、その灯りを電波に乗せている。
収録は、半蔵門のスタジオで行っている。時間がない時は、東京駅からタクシーに乗って向かう。
十五分ほど後部座席で揺られながら、その日の収録でどんな話をしようか、脳内を必死に掻き回す。大体いつもネタ切れしているから、オチまで含めて毎週きちんとネタを用意する先輩ラジオMCの方々のトーク力を、心底尊敬している。
車窓からは皇居や国会議事堂が見える。嫌でも「東京」や「日本」を意識させられるルートで、問題だらけの時代を考える。差別を禁止すると断言してくれない社会。ハラスメントがなくならない業界。それでもスタジオに着く頃には、大体は別のことを考えている。
ある夜、いつもどおり東京駅の丸の内側で、タクシーを拾った。行き先を告げようとしたら、初老の運転手が先にこちらを向いて、申し訳なさそうに言った。
「今日が、初めてなんです。すみません、道がわからないこともあるのですが、よろしいですか」
四月だった。いろんなところで、新生活が始まっていた。
運転手は、九州でコンビニの配送トラック運転手をやっていたが、いろんなことがあって妻と離婚し、仕事を求めて東京に出てきたのだと話した。
本当は東京や埼玉でトラック運転手をやりたかったけれど、そこに需要はなく、タクシー運転手になった。人と話すのは嫌いじゃないけれど、週末の夜は酔っ払った客から大変な目に遭うこともあると会社から聞いていて、それが今から怖いんだと、運転手は言った。
カーナビで登録してもらったのに、なかなかスタジオには着かなかった。あの運転手も、東京の夜の灯りの一つとして、今もこの街をどこかで照らしている。
「四十歳になって、一念発起して会社を辞めました。カツセさんと同じように執筆業で生きていたいと思いながらラジオを聴いています。しかし、一年経った今でも、収入がままなりません。いつか、夜明けは来るのでしょうか。カツセさんが夜明けを感じた瞬間はいつでしたか」
ラジオに届くお便りは、時にとても深刻で、明確な答えを口に出せないものも多い。
明けない夜はない。そう言い切りたいけれど果たして本当なのか、自分でもわからない。ならばせめて、夜道を照らす灯りを、精一杯かき集めて生きていくのはどうか。
顔の見えない相談者に向けて静かに返した。ちょうど、明日も収録だ。声の先で、灯りがつくことを願っている。