今夜も窓に灯りがついている。

「窓の灯り」をテーマとして人気作家の方々にリレー形式でエッセイを執筆いただく連載企画

Vol.96

尾崎世界観

毎年12月は冬フェスシーズンだ。2023年はこれまでで最も多い5本の冬フェスに出演した。仙台、広島、名古屋、順調にライブを重ねていき、残すは大阪と幕張(千葉)というタイミングで喉を痛めた。

12月28日、新大阪駅からバスで会場へ向かう途中、たまらなく憂鬱な気分で窓の外を眺める。会場に着いてからも気分は晴れない。出番前、特設ブースで行われる公開収録に参加した。この時点ですでに声がかすれているのがわかり、ますます不安は募る。汗で濡れた髪を揺らして、満足げな表情を浮かべる、出番を終えたばかりのバンドマンと楽屋エリアですれ違う。切実に声が欲しい。

本番直前、ステージに出てリハーサルをした。満員の観客たちの熱気を肌で感じながら、どうにかライブをやり遂げたいと、心から思う。声は思ったより出ていて、そのことに安堵しながら、一旦ステージを後にする。

楽屋でスタッフに声をかけようとして愕然とした。まったく出ない。早く喉が開くよう、いつもより力んで歌ったせいだろう。息は声にならず、喉から情けなく漏れるばかりだ。ふいに怒りが込みあげるけれど、今は舌打ちさえ惜しい。すぐにライブ開始予定時刻になった。歓声があがり、ステージ中央へ歩き出す。声を持たず立つステージはあまりにも広い。その時、人の波の奥に小さな光が見えた。光の中に会場から溢れた人々が浮かびあがる。こんなに期待されているのに、本当に情けない。まるで宿題を忘れた小学生だ。今まさに、1万数千人から提出を求められている。

1曲目、 2曲目と歌ううちに、声はどんどん酷くなった。 4曲目を歌いながら、今の自分に、プロとしてステージに立つ資格はないと確信する。それでも演奏予定曲はまだ半分以上残されていて、無数の観客たちが、暗がりに蠢く化け物に見えた。声にならない声で、悔しさと情けなさと恥ずかしさを吐き出すように歌う。歌ったそばから、口の中で悔しさと情けなさと恥ずかしさが膨張して、窒息しそうになる。迷った末、最後のMCで観客に伝えた。この通り声が出ません。だから今日だけ、これからやる最後の曲を一緒に歌って欲しいです。そう言ってから、恐る恐る顔を上げる。目の前には人、人、人。こんな状態にもかかわらず、まだこんなに残ってくれている。最後の曲のイントロと同時に、会場の空気が変わるのがわかった。それは言葉にも音にもならない、ライブでしか感じることのできない人間の気配だ。曲が始まり、大勢の合唱が響く。人の波の奥の方、あの光を見る。窓だ。でも、家やビルの窓とは違う。こうして音楽そのものに飲み込まれてしまいそうになった時、外の世界を匂わせてきて、だからこそまだここに居たいと思わせてくれる。そんな音楽の窓が、ステージのはるか向こうに滲む。合唱はどんどん大きくなる。絶対にこのステージから離れるわけにはいかない。観客の声を借りて、歌う。悔しさを、情けなさを、恥ずかしさを、千切れるほど噛み締める。今まで歌い続けてきたものが向こうから跳ね返ってくるような、とても不思議な感覚だ。曲は最後のサビに差しかかった。自分が歌わなければならないはずの歌が、数えきれないほどの声となって、あの光の中から聴こえてくる。

Vol.94 カツセマサヒコ

PROFILE

尾崎世界観

2001年結成のロックバンド「クリープハイプ」のヴォーカル・ギター。2012年、アルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』でメジャーデビュー。2023年には、幕張メッセ・大阪城ホールというキャリア史上最大規模の会場でアリーナツアーを開催。2016年に初小説『祐介』を上梓。第164回芥川賞候補作となった小説『母影』の文庫が発売中。

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い
窓の灯りを見ると、自分が外側にいるということを意識させられて面白い。見ず知らずの誰かが暮らす家の窓から漏れる光はちょっと不気味なのに、大きなオフィスビルの窓から漏れる灯りを見るとなぜか安心する。このエッセイでは、そんなオフィスビルの窓の灯りを書きたいと思いました。
このエッセイを読まれた方へ
数万人の前で歌を歌うというのは非現実的な行為で、自分でもいまだにそのことを不思議に思います。でもだからこそ、この文章を通して、そのことを少しでも身近に感じて頂けたら嬉しいです。
ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?
ありません。余計なことはせず、眠れない、眠らないを満喫します。