今夜も窓に灯りがついている。

「窓の灯り」をテーマとして人気作家の方々にリレー形式でエッセイを執筆いただく連載企画

Vol.97

尾崎世界観

いつから眠れなかったのか、今となってはわからない。

不眠、というのは一晩中まんじりともしない状態を指すものと思っていたからだ。寝付きが悪く、眠りが浅く、何度も中途覚醒し、早朝に目が覚め、昼間も眠い――という自分の状態を不眠症と呼んで医療の助けを借りてよいのだと気付くには時間がかかった。

眠りの質が悪いので常に寝不足気味であり、それ以上の睡眠不足は死活問題となるので、睡眠時間を削ることは極力しない。徹夜などもってのほか。

眠れば夢を見る。たいがい長く込み入った夢だ。私は目覚めている間、頭の中に途切れることなく言葉が流れていて、目に入るもの聞こえるものや自分の行動などが脳内で自動的に小説の「地の文」風に変換されていくというタイプだった(過去形なのは、抗うつ剤の服用により変化が生じたからである)のだが、どうやら眠っている間も頭は休むことができず、空回りを続けているとおぼしい。夢から覚めた時点で頭がぐったりと疲れていることがある。

特に疲れるのは、自分が主役・視点人物かつ作者であるような夢だ。私は夢の中で動き回っているが、その夢の世界を一から十まで作っているのもまた私――動き回る私とは分離した、夢を見ている方の私――であり、私が一歩踏み出す前に、一歩先の世界を想像によって在らしめなくてはならない。しかも夢の中の私は何かに追われて走って逃げているところであったりする。その走る速度よりほんの少しだけ速く、私の前方にある世界を創造しなくてはならない。どちらの私も必死だ。

大通りを走っているところならば、足の下の地面と、視野の両側を流れていく、ひとつひとつ異なる建物を、瞬時に途切れることなく創作し続け、建物の中に飛び込めば、その次は? 上へと登っていく階段を、その次は? 屋上を、そこから見下ろす街並みを、その次は? 屋上から飛び降りた、さあそこから助かるすべを、たとえば天から飛来する一羽の鷲を、落下していく数秒の間に創造することができなければ、地面に叩きつけられるのか、追手に追いつかれるのか、世界の空白に踏み込んでしまうのか、それはわからない。

クレイアニメシリーズ〈ウォレスとグルミット〉の『ペンギンに気をつけろ!』という話に、室内に敷かれた鉄道模型でカーチェイス(?)を繰り広げるシーンがあって、犬のグルミットが乗った列車の下の線路が途切れそうになったとき、身を乗り出してレールのパーツをリアルタイムで敷いていくことでその場を乗り切っていたのだが、それに近い。走りながらひとつ先のレールを敷いている。

そういえば鉄道の夢も見た。列車に乗って駆け抜けながら、乗客である自分の目に映る、線路の両側で早送りされる街並み、無数の建物や情報量の多い看板を、ひたすらに生成し続けていた。

夜通し、脳が回し車を回し続けていたような疲労。創作に直接役立つでもない。夢で見た話を短篇小説にしたこともないではないが。

それでも、夢を見ることを私は愛していて、夜になるたび広大無辺の夢の曠野こうやへと降りてゆき、私なしでは存在し得ない月や星をそこに泛べ、景色を作り、家々を建てればひとつひとつの窓に灯りを点すだろう。

Vol.97 川野芽生

PROFILE

川野芽生

歌人、小説家。2018年、第29回歌壇賞受賞。
第一歌集『Lilith』(書肆侃侃房、2020年)にて第65回現代歌人協会賞受賞。
著書に短篇集『無垢なる花たちのためのユートピア』(東京創元社、2022年)、
掌篇集『月面文字翻刻一例』(書肆侃侃房、2022年)、長篇『奇病庭園』(文藝春秋、2023年)、
エッセイ集『かわいいピンクの竜になる』(左右社、2023年)、評論集『幻象録』(泥書房、2024年)などがある。
小説『Blue』(集英社、2024年)にて第170回芥川賞候補に。

COMMENT

「窓の灯り」というテーマを受け、エッセイに込めた思い
「窓のあかり」といえば、一睡もすることができずに遂に窓の外がしらじらと明るんできたときの絶望、が思い浮かぶのですが、それは「灯り」ではなく「明り」でした。
このエッセイを読まれた方へ
出来うるなら、どうか優しい眠りがあなたに訪れますように。
ご自身の眠れない、眠らない夜に欠かせないモノ・コトは?
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