パンを焼くことと、小説を書くことは似ている、気がする。
私はフルタイムで働いているため、現在は朝に書くようにしている。ただ、〆切の厳しさによっては、朝とも呼べないような暗い時間に起きる必要が出てくるときもある。そんなときは、パンを作ることにしている。パンは手作りとなると時間のかかるものだ。二時間、三時間は平気でとられる。焼きたてパンを朝食に食べたければ、いつもよりも早く起きる必要が出てくる。朝早く目覚めたければ、パン作りは最適である。
待つ、
という行為が存外多いのも、パン作りの特徴だ。一次発酵、ベンチタイム、二次発酵、焼成。私はその間に小説を書く。現に今も、ベーグル作りの途中でこれを書いている。ベーグルになる生地は、レンジの発酵機能で30°C40分間、膨らむのを待たれている。待ちながら小説を書き、朝にはおいしいパンが食べられる。一石二鳥だ。失敗すれば、逆もまた然りだが。
待つ。
という行為は、小説でも多い。実際に書いている出力の時間、というのは、小説を完成させるという行程の中では短いように思う。大半、私は待っている。のんべんだらり、というわけでもないが、物語や言葉は、あくせく働いて生まれてくるものでもなく、日々の生活の中でふと湧いて出たものが醸成される。それは積極的にコミットしにくいものだ。イーストの量や発酵の時間は調整できるが、私はイースト自身に「もっとがんばれ」と励ますことはできない。
さて、一次発酵が終わると、ベーグルは成形をすることになる。甘いものしょっぱいもの、いろいろなものが入れられるのもベーグルの特徴だ。私はしょっぱいのが好きなので、シュレッドチーズをたっぷり入れ、くるくる巻いた後、ドーナツのように輪っかにする。基本のベーグルは成形のあと一次発酵させる場合が多いが、私はこの後、二次発酵もさせる。そのほうが柔らかく仕上がり、子どもも食べやすいからだ。パン作りの定石は大切だが、決まりはない。その自由と責任も小説と似ている。
待っている間、散歩をすることもある。町はまだ目覚めていない。日も出ていないので、鳥もいない。『恋愛小説家』という映画に、ジャック・ニコルソンとヘレン・ハントが、早朝、ちょうど目の前で灯りのついたパン屋に入る、という場面がある。ラストシーンだ。その店の最初の客として、肩を並べてパンを選ぶ二人の姿は愛おしかった。しかし、私の住む町に、そんなパン屋はない。町は暗く、静かに、ただただ息をしているだけだ。いくつになっても、手に入らないものは多い。でも、夜ではなく朝になるというその時間が、寂しさを和らげてくれる。
家に戻れば、ケトリングをして、あとは焼成だけだ。うまくいくかは、焼き上がるまではわからない。小説も、「了」と自分が終わらせるまでは、終わらない。薄闇の中、遠くの窓に灯りがつき始める。その窓の向こうで、誰かがパンを焼いていてほしいな、と思う。