ゲーム会社トランザム買収騒動〈後編〉
【あらすじ】
ゲーム制作会社トランザムが買収される。広報部長の本川文雄からその事実を聞かされた広報担当の矢崎剛は、事実を探ろうとする複数の新聞社からの取材依頼をどう切り抜けるか頭をひねらせていた。しかし、社長の花輪亮一は、なぜか「東経新聞」の取材だけ受ける、と譲らない。花輪の態度を訝しく思う矢崎だったが、その後、今回の買収騒動をめぐる、花輪の真の狙いを知ることとなる……。

「裏切り」
〈25日前〉
「自分たちだけ甘い汁が吸えれば、それでいいんですかね」。矢崎が呟く。
ずっと胸に刻んできた言葉がある。「諦めるな。惑わされるな。進むだけだ」──。創業者である番場信弘が起業したとき、当時5人しかいない社員に向けた言葉だった。今も本社受付の壁に掲げられている。“諦めたら何も起きない。周囲の雑音なんかに惑わされず、ただ前だけを見て進むぞ”そんな番場の言葉の真意が、今になって会社にのしかかる。
目の前にいる広報部長の本川文雄に問いかけるように聞いた。「このままじゃトランザムがトランザムでなくなりますよ」「進むだけだ、か」本川が「…重いな」と言葉を継ぐ。明日の見えないトランザムで、唯一の拠りどころは番場だった。しかし、その番場は既にこの世にいない。
現社長の花輪亮一は現実論者なうえに他人(ライバル)のミスにつけ込む嗅覚があった。天賦の才能とでも言うべきだろうか。小さな器の中ではあるが、当時番場の後任となる社長レースが社内で進行していた。開発部門を担当していた狩野という専務が番場の後任が確実と目され、社内の空気もそれにならってきていた。狩野は家庭用ゲーム機創成期から番場を支え、社内外を問わず頼る者が多かった。人望も厚く、若い者の面倒もよく見ていたと聞く。花輪は当時、営業担当常務で社長、副社長、専務に次ぐ社内序列でいえばナンバー4だった。副社長は番場の奥さんが創業時から名前を連ねているだけだった。したがって実質にはナンバー3である。
次期社長として自他ともに認められていた狩野に不運が起きたのはそんな時だった。市場で遅れをとっていた携帯用ゲーム機の開発に向けて、開発部門が昼夜を問わず一丸となって“進んでいた”。狩野は陣頭指揮を執って鼓舞していた。そして、完成が目前に迫っていたある日、事件は起きた。
室内は完成が間近に迫った興奮と期待に包まれ、熱を帯びていた。電話も社内外からひっきりなしにかかってきた。内線の音は「プルプル」の短い繰り返しで、外線は「プルルルルル」と異なる呼び出し音が鳴る。「プルルルルル」と呼び出し音が鳴り若手の社員が受話器を耳にあてる。
「はい、開発」。横にいた先輩社員が「バカ、外線だろ」と苦笑する。受話器を取ってから気づいた社員が無言で「すいません」と頭を下げる。苦笑した先輩の社員は自席のパソコン画面に集中していた。
突然「えっ!」と声があがった。受話器を耳に当てたまま絶句している。周りの社員にも聞こえたらしく、さっきまでの熱気が冷めたように静まり返った。
「でも、当社はそちらに問い合わせて確認したうえで申請したのですが…。…はい…はい。再度確認してみます」。受話器を置いた若手社員に隣から聞いてみる。「どうした?」「申請した特許ですが、うちが出す3日前にまったく同じものを他社が申請していたそうです」。
目前に迫っていた完成がこれ以降霧散していった。後に、開発担当の社員が、他社へ情報を漏らしていたことが分かった。この責任を取り“狩野社長”は実現しなかったばかりか社までも追われた。その後、狩野は自宅を売り払い、奥さんと二人で野菜を栽培しながら細々と暮らしているらしい、と他社の人間から聞いた。
その時、営業担当の責任者だったのが現社長の花輪だった …