エレベーターの中で階数表示が動いてゆくのを何の気なしに見守ってしまう様に、日常生活の中では「何の気なしに」見守ってしまうものが幾つかある。その「何の気なし」は、主に手持ち無沙汰な時におこるので喫煙所でも当然おこる。ぼくは広告代理店に勤めていた20代の頃、何度も何度も喫煙所から見えるビルの明かりを見守っていた。正直に打ち明けると、本当の所は大半の時間スマホを見ていた。ツイッターで自己満足なポエムをツイートしたり、ネットオークションで限定スニーカーを落札したりしていた。ただ、スマホの明かりというよりもビルの明かりと言った方が情緒がある。情緒は大事なので、ここはビルの明かりを主に見ていたという事にしよう。事実、喫煙所にいる何割かの時間は本当にビルの明かりを見守っていた。ただ、それは「何の気なし」にエモい感じで眺めていた訳では無かった。ぼくは、かなりのドス黒い感情を持ってして、ビルの明かりを睨んでいたのだ。
うだつの上がらない20代前半、昼夜を問わないので文字通り地続きの毎日で、このまま仕事を続けても自分はスターになんてなれないと思った。同級生が載っているかも知れないブレーンも読みたくなくなった。学生の頃はブレーンを眺めては「いつか自分もここで紹介されるクリエイターになる」と鼻の穴を膨らませていたのだが、いざ代理店に入って社歴を重ねる度に鼻の穴は見事に萎んでしまい「どんなに小さくてもいいから載せてはくれないだろうか」とか「宣伝会議の社員と友達になれば何とかならないか」など悶々とした挙句に「ブレーンに載る事が全てじゃない」と自分に言い聞かせる様になった。
「ブレーンに載る事が全てじゃない」と思ってからはあっという間だった。「カンヌが全てじゃない」「JAGDAが全てじゃない」そのあとは「CMが全てじゃない」「マスが全てじゃない」と、気が付けばもう何でも良しになっていた。何でも良しになれば、少しは気持ちが晴れるかと思った。吹っ切れて初心に帰って、また一から頑張れる気がした。だけど、その頃からぼくは喫煙所でビルの明かりを睨む様になったのだった。皮肉な事に、そんな実体験が半分くらい入っている広告業界を舞台にした漫画『左ききのエレン』を描いた事で、この度ブレーンから執筆依頼も来る様になったのだが、これをリベンジだと思える程もう純真では無い。広告で果たせなかった夢を、広告以外で代替する事は出来ないのだ。
今は、ビルの明かりを睨む事は無くなった。他人の成功を羨む事が減った。素直に「いいね!」が押せる様になった。確かに今は漫画家という一生の仕事を見つけたと思っているけれど、それでも広告で成功できなかった事は一生忘れられないだろう。初恋の女の子みたいに美化されて、ふとした時に胸を締め付けるのだと思う。この文章を、夜中の誰もいない喫煙所で読んでいるあなたへ。あるいは、夜中の誰もいない喫煙所的な心境で読んで下さっているあなたへ。ぼくの代わりに頑張ってください、とは言いません。ただ、どうか頑張ってください。ぼくの漫画が少しでも応援になればと思って、今日も窓がない部屋で描いてます。
朝起きてから見直そうと思ってましたが、夜のテンションのままにしました。
読んで下さってありがとうございます。
娘の寝顔を覗きに行って癒されます。たまに起こしてしまって奥さんに怒られます。