(たかはし・たくや)
1975年生まれ。インプロヴィゼーション/アヴァンギャルド音楽シーンでのソロを中心とした演奏活動と平行して、展示/空間の音響演出、企画などを95年より開始。99年より国内外でダンサー・田中泯の音楽を2006年まで担当。現在は音楽とビジュアル体験の間をつなぐ「物語」を具現化することに着手。ユニクロやナイキなどのキャンペーン広告の楽曲制作も多い。
夏の夜、縁日が開かれた神社の境内や沿道。目に映るのは灯籠や提灯の鮮やかな橙色、肌を撫でる少し湿って温かい風、手をつないだ人の体温。耳にはお囃子、雑踏のざわめき、屋台の鉄板からはジュウジュウと、そしてコテが奏でるカンカンといった音、立ち上る香り。その中には夏独特の草いきれや、潮の香が混じっている。では、どれが「縁日」を成立させる感覚なのか。
僕は、場所が持つ性質を、視覚や聴覚、嗅覚などの五感で切り分けることにはさほど意味がないと考えています。目で見る、匂いをかぐ、音を聞く、触れる、味わう。その場所独自の体験は、受け手の中ですべての知覚が同時に、有機的に混ざり合っているからこそ、成り立つと思うんです。
確かに音には記号的な面があります。例えばお化け屋敷なら「ヒュードロドロ…」など。でもそれは「言葉」です。舞台の書割と同じで、木々のセットを見て「森だ」と解釈できても、森林の体験はない。
それでは、「この音=この体験」とはなりません。僕が音響設計に携わる際は、劇場や舞台、展示会場、店舗、どんな場所でも、まず訪れた人に抱いてほしい気持ちを考えます。そして、その気持ちを湧き上がらせるにはどんな体験が必要か、そのために、その場を満たす光や空気、手触りやビジュアルの印象、香り、色々なものと組み合わせて、どんな音があればいいか。空間が持つすべての表現は、訪れた人の気持ちを想像し、五感を刺激する環境を設計するところから生まれるというスタンスです。
音響でコミュニケーションを図るのは、受け手の理解に先立つ感覚を刺激するスイッチを押すようなもの。明確に言語化はできなくても、誰しも一度は音に刺激を受けて、感情が波立った経験があるはずです。そのスイッチをきちんと探り当てられれば、空間の体験の豊かさが増し、その場所を再び訪れてもらえるのだと思います。
「ヒュードロドロ…」も当初は、環境と共に生まれた音だと思うんです。その音が必要とされて、設計された場所があった。江戸時代に怪談物が演じられた頃でしょうか。そのときは、「言葉」ではなく、まさに体験として受け入れられたのでしょう。それが時代を下り、何度も奏でられるうちに記号へと変わっていった。その表現を生んだ場所は形を変えていっても、表現のアイデアだけが遺伝子のように引き継がれ、現在に残るのは文字でも同じですね。
もし僕が恐怖や不安、危機感をかき立てたいと考えたら、まず思い描くのは「その環境で何がなされていたか」「観衆はどんな気持ちを抱いてそこに集ったか」です。
そして、現在の空間で同じ気分になりやすい環境を用意するにはどうするか、考えを巡らせていきます。縁日の話と同様で、ほかの感覚すべてと環境を構築する必要があります。「ヒュードロドロ…」が観客の平静を乱せたのは、江戸時代ならではの演芸に対する人々の期待、小屋、芝居小屋の空気、役者の演技、さまざまな要素と組み合わさったからです。
テンポも、意味に陥りがちな音の要素のひとつで、さらに人の振る舞いや、考える速度まで方向付けてしまう力があります。ゆっくり見て回りたいときにテンポが早いと急かされるようだし、緊張感を抱いてほしいときに、のんびりしたテンポは合わない。かといって、こちら側の意図をあんまり込め過ぎると、また、「意味」が立ち上ってきてしまう。時には異質さも重要で、違和感があるからこそ体験できることもあります。音は目に見えませんけれど、それでも僕は空間音響で、色とりどりな体験をもたらすことを目指します。
単なる共通認識を刺激するだけでは、人の心に広がる波紋は小さい。一方で、極端に作り手の身勝手さが見え隠れする抽象的な音というのも波紋が小さくなる。「この人のアートなんだな」と距離を置かれてしまいますからね。「鑑賞」されている間は、その場所への愛着はわきません。
場所への親近感を湧かせるためには、体験を通じて、受け手に想像が広がるとか、ふいに過去の記憶が立ち上がるとか、何かが身体の中に走らなければならないんです。心地よさだけではなく、ハードな体験であってもいい。「この空間のことをもう一度考えてみたい」、「この場所にもう少しいたい」、そんなふうに振り返ってもらえるような場所を、僕は音を通じて作ってみたいんです。
「ブレーン」2012年6月号より