(わたなべ・けんいちろう)
standard trade.代表。1972年横浜生まれ。横浜の本社工場を起点に等々力の玉川ショップ、学芸大学の五本木ショップをでオリジナル家具を製作販売。デザインから販売・製作・配送をし、その後の修理、メンテナンス・買い取りまで自社で行う。オリジナル家具だけではなく、ビンテージオーディオや国宝級の木工家具作品の修覆、自由学園明日館、小泉八雲、林雅子の家具の修理・修覆・復元を手がけている。その高い技術とヒアリングから生まれる空間バランスが評価され、家具だけでなく、住宅やオフィスも手がける。
空間を考えるときは、まずぼんやりした全体像を思い描き、そこから一つひとつのピースを、お客さんと一緒に丁寧に確認していきます。キッチンの場所はどうしたいか、寝室と玄関は離れていたほうがいいか、そういった希望を、一つずつ引き出していくんです。そのときに、例えばキッチンは配管の近くに持ってきた方が、水勾配の都合から考えてもいいですよと、合理的な視点からも話をし、さらに希望を引き出していきます。でもそうして出そろったピースを組み合わせようとすると、うまく噛み合わない。必ず、全ての希望は実現しないという壁に突き当たります。
それは僕にとっては最初からわかっていることなのですが、それでも最初からこうしましょうと僕が言うのではなく、丁寧に一つひとつ一緒に考えていきます。なぜかというと、多くの場合、お客さんはスタンダードトレードの渡邊謙一郎にお願いすれば、魔法のように、素敵な部屋が突然出来上がると思い込んでいるからなんです。でも実際はそんなことありません。一緒に考えるというコミュニケーションを通して、すべての希望が叶うわけじゃないと知る。その工程を経ずにいくと、住み方を想像しないまま話が進んでしまい、結局「渡邊謙一郎作品」を買うことになってしまうんです。それはちょっと高い買い物じゃないでしょうか(笑)。
出来上がった当時はカッコよく思えた空間でも、長年住んでいくと実は住みづらかったりする。そう感じたときに、「渡邊謙一郎作品だから仕方がない」とは、僕だったら思えません。そうならないよう、自分の頭でも、どう住む家なのかを考えてもらう。
そして最終的には、僕は家のことに詳しい、その家の第三者になりたいと思っています。家の住み方や使い方でわからないことがあったら聞いてくださいと、その家の暮らし方を一緒に考えた相談相手として、コミュニケーションをとり続けていきたいと思います。
旅行へ行ったときに、「こんなところに住みたい」と思うことがありますが、冷静に考えるとそれは旅行だからいいのであって、住むとなるとまた別の問題です。家というのも同様だと思っていて、ぱっと見たときに驚くような空間というのは、危ういのではないかと感じます。
家具というのは、ほとんどの製作工程が板材の加工だけで進んでいきます。それをコツコツと作り上げて、最後に組んだ時、はじめて立体物になるわけです。そのコツコツと正しいことを積み重ねるという習慣が、僕の物の考え方や、空間の作り方にも現れているのかもしれません。間違っていないことを地道に繰り返していけば、最後には必ず形になります。
打ち合わせを何度も繰り返すのも同様です。ピースを一つひとつ精査していくことで、お客さんも家の使い方を理解していきます。例えばシンクの横に食器洗浄機があるのは、水をたらさないためですよとか、なぜそうあるべきで、なぜ使いやすいのかを、打ち合わせを通して知ってもらうわけです。すると住み始めたころには、ベテランのように、そこで暮らす準備が十分にできています。まだ住んでいなくとも、長く住んだように家のことを熟知している。住みやすい家というのは、その人がどれだけ家のことを理解しているかということがスタートです。住みやすいというのは、住み慣れたということでもあって、家の使い方が分かっていることが、住みやすさにつながるんです。
正しいこと、妥当なことを積み重ねた空間は、驚くようなものではなく、極めてベーシックなものです。でも家という居住空間は、堅実で、謙虚であるべきであり、それが暮らしやすい空間だと僕は思います。
「ブレーン」2012年11月号より