フラワーアーティスト。
雑誌や広告の花活け、店舗や温泉宿のディスプレイ、展示会の花活けのほか、鎌倉のアトリエと東京各所、横浜ランドマークタワーにて花教室も開催中。紅茶好きでプロレス好きで愛猫家。著書に『CHAJINの花/小さな花あしらいと12ヶ月の花の話』(芸文社刊)など。アフタヌーンティーのWebサイトにて花活けコラム『+FLOWER』連載中。
http://www.o-chajin.com/
花屋さんには「仕入れ10年」という言葉もあって、実際に活けるときより、むしろ仕入れが要だという考えです。たとえ技術がなくても、素材選びができていたら、きれいに活けることができる。
今年の正月も、長年お付き合いのある温泉旅館などのお花を活けたのですが、素材を選ぶには、まず活ける空間に足を運ぶ必要があります。その空間やシチュエーション、そしてお花ですから、季節感というのも大切です。お正月だから松やナンテンの赤い実を使おうとか、温泉宿は人々が癒しを求めてくる場だから、ちょっとした非日常を演出しようとか、ある程度自分の中で茫漠としたイメージを膨らませます。ただし、あくまでお花が主役になるのではなく、その空間に置いて、お花を通してちょっとしたお正月気分を感じ取ってもらったりするような、あくまで名脇役的な位置づけであるべきだと思っています。
お花の仕入れは東京の大田市場によく行きますが、仲卸の店舗が開くのが5時か5時半ですから、下見もかねて僕はだいたい4時過ぎには行くようにしています。イメージ通りのお花を選ぶこともあれば、実際に見てよりいいと思ったものを選ぶこともあって、そこは柔軟に対応します。
実際に活ける際には僕なりの哲学があって、僕はプロレスが好きなのですが、お花とプロレスは一緒だと思っているんです。プロレスというのは、対戦する両者が、互いの得意技を<甘んじて>受けあうことが美学とされる側面もあるんですね。好勝負と言われる試合は、技を出せば、相手はそれをしっかりと受けるし、次は自分が相手の技を受け止める。その美学の上で、試合がひとつの作品になるわけです。お花も、ついつい活ける花だけに目がいきがちなのですが、その下にある器も大切で、花と器、双方のバランスが重要なんです。上のお花だけが目立ち、器が見落とされてしまっては意味がない。プロレスのように、お花と器が双方のいいところを受けあい、お互いがリンクし、しっかりとコミュニケーションすることで、相乗効果が生まれ、作品として成立するのです。
僕がCHAJINと名乗り始めてから約18年、修業時代も入れると、お花を始めてから23、4年が経ちます。その中で、お花との距離感がだいぶ変わってきているなと感じます。昔は、十数種類のお花を使い、原色を散りばめたような色使づかいの活け方が好きな時代もありました。今はどちらかというとシンプルなもの、器を際立たせるためにお花は一輪だけにするような、引き算のお花がしっくりきています。これは、その時々の自分の好みや、どんな人と出会ったかということによって変わっている。つまりお花というのは、そこに現在の自分を投影しているんです。
いま定期的に花教室も開催しているのですが、そこではあまり活け方や所作のようなことは言わないようにしています。技術論が先行すると、その人の個性を殺してしまうことになるので。それぞれの人につくりたいもののイメージがあるし、それにあわせてアドバイスも変わってきます。だいたい1回の教室に7~8人の生徒さんがいて、僕は指導するというよりは、一人ひとりとコミュニケーションを取りながら、その人が活けたいものを活けれるようにお手伝いする、そんな立ち位置でやっています。
用意するお花の本数や飾り、器はみな同じなのですが、仕上がりは全然違ってきます。それはもちろん、活ける人の価値観が違うから。シンプルライクな人は1、2種類のお花しか使わなかったり、派手なものが好みの人は反対色の組み合わせを使ったりする。教室に通い続けている間にその人の趣味趣向に変化があると、活ける花も変わります。そういう意味では、お花を活けてもらえば、僕はある程度その人の人となりを知ることができます。だから自分が活けてきたお花を振り返ってみても、古いアルバムをめくっていくように、自分の価値観をたどることができる。それもお花の楽しみのひとつです。
「ブレーン」2013年3月号より